誰かが一所懸命にやっていることの、その真剣さが感じ取れないような感性でいる人には、いかな神様でも仏様でも手の差し伸べようがない。
自分の理解を超えるからというのが原因であるとか、または興味がないことだから関心が持てないということと、他人の真剣さに敬意を払わない・軽視するということとは全く違うことがらであります。
ましてや、真剣な人の為していることの妨げになるようなことを平気で言ったりしたりするような心根では、いずれ大事な仲間からも見放されるに違いない。
真剣な姿というものに重なっている「気」というものだけでも感じ取ることなくして、自らを高める道は拓けないと思うのです。
認めることなくして認められることのあろうはずがないのも真理です。
自分の尺度を持つということは大事ですが、自分の持つ「秤」の種類を増やすということも大事なことです。
認めるということが、気づかずにいた自分の器の大きさを知る機会になります。
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