2014年1月21日火曜日

種子島でネジを諦めなかったお蔭


「ねじ込む」というと強引な感じがするし、「ネジを巻く」というのも強制するように感じて、

ネジというのは、持っている意味が強い。

「螺子(ネジ)」というのは、「捩じる」からきているらしいが、ネジはそもそも強くなくては始まらない。

 

種子島へ鉄砲が伝来したのは、天文12825日 (1543923日)といわれ、種子島西之浦湾に漂着した中国船に乗っていた「五峰」という明の儒生が西村織部と筆談で通訳をして、。同乗していたポルトガル人フランシスコ、キリシタダモッタ)の2人が所持していた鉄砲を、発射実演の結果、島主である種子島恵時・時尭親子が2挺を購入したのが最初だといわれます。

ベラボウに高かったらしい。

そこで、コピーして自前で造ろうとしたのだけれど、火縄銃の後ろは火薬の爆発力を受け止めなければならないのに、その強度を持たす技術がなかった。

「筒底をネジで塞ぐ」ことが必要なのだが、当時の日本にはネジがなかった。「くさび」や不十分な溶接によるのでは、暴発の危険があった。

 

このネジの技術をクリヤーできたことで、鉄砲生産は爆発的に増え、世界の総鉄砲所有量の大半を占めるようになり、結果として西欧列強からの侵略をされずにすんだ。

 

ネジ・カシメ・シボリ・・・日本の技術は凄い。

 

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