2014年1月13日月曜日

網は粗いと思はない方がよい


成人お目出とうございます。

法的に大人として認められ、そう扱われるということでございます。

人として生まれてより人権というのは与えられているのかも知れませんが、今までは人の卵が人になってゆく過程であったのだと思います。

人間になりきるには、責任がとれるようになってこそのことだと思います。

 

天網恢恢、疏にして失せず。或いは、疏にして漏らさず、と言われます。

天が張りめぐらした網は広く、目が粗いようであるが、悪人・悪事は決して取り逃がさないということ。

天道は厳正であって、悪は遅かれ早かれいずれは罰を受けるということを言う悪事を戒める言葉。

「恢恢」は広く大きいさまのこと。

 

老子 第七十三章に出てくる訓えです。

勇於敢則殺 勇於不敢則活 此兩者 或利或害 

天之所惡 孰知其故

天之道 不爭而善勝 不言而善應 不召而自來 繟然而善謀

天網恢恢 疏而不失

 

原文を書き下し文にすると

敢えてするに勇なれば則(すなわ)ち殺され、敢えてせざるに勇なれば則ち活かさる。この両者、或(ある)いは利あり、或いは害あり。

天の悪(にくむ)む所、孰(たれ)かその故を知らん。

天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、召さずして自ら来たし、繟然(せんぜん)として善く謀る。

天網(てんもう)恢恢(かいかい)、疏()にして失せず。

 

天網よりもっと目の粗い法律は、より守らねばならないということでもあります。

天よりも誰よりも、自分がマズイと思っていることは、因果の法則として自分が一番困るときに返ってくるのだそうです。

 

 漢の司馬遷は、ある事件で時の帝から理不尽にも宮刑(きゅうけい)に処せられました。
 宮刑とは、男性の機能をちょん切られるという残酷な刑罰です。


 司馬遷は、正義を貫きながら酷薄な運命に翻弄された人たち、あるいは逆に悪の限りを尽くしていながら現世ではぬくぬくと優雅な生を全うする人間をその大著「史記」の中で描き出し
「天道是(ぜ)か非か」と問いかけています。

 

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿