2016年11月21日月曜日

想像を超える努力なしでは

人は何をやっても、生きていくだけのことならできる。
しかし、それで満足することは滅多になくて、望ましい姿の自分を目指す。
富であったり、名誉であったり、技術であったり、芸能であったり、武道やスポーツであったりと多岐にわたるが、いずれにせよ高みを目指す。
悪い事ではない。
もともと才能があったり運がよかったりで、大した努力もなしに達成できる人がいるが、それは数が少なくて、成功するのに大抵は努力を重ねている。

努力はしたが自分の能力に自ら見極めをつけて、適当なところで折り合いをつけ、平凡に暮らしていければよいとする人が大半なのであろうが、大した努力もしていないのに世間から認められないといって、自分のせいではないことにして悶々としている人もまた多い。

人の3倍も、とまでは言わないが、人の倍の努力をしても達成できないとしたら、それは自分のやり方が悪いということになる。
信頼できる師匠を真剣に探し、その師匠の言う通りやってみるしかない。師匠の言うことに逆らってみても、今までの自分のやり方が違っていたのだと素直な反省に立って、改めて努力しなおすより他ない。
今までと同じことをやっていたのでは変わりようがないことは実証されている。
正しい鍛錬を地道に繰り返した多寡が結果的にはものをいう。

不思議なもので、その努力を重ねていると、周りが放っておけなくなるほどの実力が身についていて、自分が主張しなくても周りが認めてくれるようになり道が開ける。
そこから先に現れてくるのが個性であって、それ以前にあるのは、いうなれば身勝手な癖とも呼ばれるべきものということになる。変な学校教育で惑わされているが、隠そうとしても隠しおおすことができなくなるのが個性である。マイナスイメージになるものを個性とは呼ばない。
「素直になれ」といわれるとしたら、そういうことなのだと思った方が良い。

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