2016年11月9日水曜日

土俵はフェアかアンフェアかが出発点でないと

いろいろ読んだり調べたりしていると、暗澹たる気持ちに陥りそうになる。
紛争を解決できるような確立したシステムが、世界にないからだと感じます。

圧倒的な強国を無視することは現実的にできないし、声を大きくして叫ぶ国に対しては、問題が多少あっても、とりあえず譲歩して聞くという姿勢になりがちである。

しかし、自分が同じことをやっているのに他を責めるというのはフェアではない。
しかもそれが捏造に基づくものであったり、根拠もなく自分側にのみ都合の良い主張であれば尚更のことであろう。譲ったことで解決には結びつかないし、問題が余計ややこしくなる。

少なくともフェアかアンフェアかが議論の出発点になるべきだと思うが、これがまた難しい。
世界は、法治国家ばかりではないし、建前上は法治国家を名乗っていても独裁主義国であったり、法はあってもないと同然な国もある。

国際法は批准していても守られるとは限らないし、それを強制的に守らせることは不可能に近い。
そんな構造はない。

絶対公正の神様でも降臨して、誰もがそれに従わなければならないようになれば別であろうが、目先にとらわれて、イデオロギー論争に近いことをやっていれば、そんな世界の現出はまず無理だろうと思う。宗教とイデオロギーは、決して主張を譲らないから、のっけから噛み合わないに決まっている。

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