2016年11月3日木曜日

正義というよりは強い方が勝つ

どっかの国のように自分に都合よくあることないこと言い立てて、1000年も恨むということではない。
日本は、今までいろいろあったけれど、この先は仲良くしていきましょうねということで仕切り直しできる民度というものがある。
ただ、事実関係だけは歴史として把握しておきましょうね、という意見は多い。
それによって政治問題を惹起しようとする意図を持ってのことではないように感じる。
しかし、この部分に触れると、何でもかんでも日本が悪い事をしたからだ、ということにしたい人が日本人の中にも大勢いて、感情的に躍起になって議論を封じ込めようとする場面をよく目にする。
争うことが目的ではない側が、一歩引いて、まだそれを話題にする時期ではないということで収めている。

戦争が良いか悪いかと言ったら、悪いに決まっている。
だが、それでも戦争には一定の制限はあって、例えば非戦闘員への無差別攻撃は禁じるルールは現に存在していた。
勝ち負けを争えば、勝つためには何でもありということになりがちだし、時に常軌を逸した作戦も実行されるのは事実であろう。
勝った側が裁かれることはないが、負ければ一方的に悪者にされるのが常であるのは仕方がない。
戦争になれば正義が勝つのではなく、強い方が勝つ。

広島・長崎への原爆投下や東京大空襲などは、明らかに軍事施設への攻撃ではなく、非戦闘員を虐殺することが目的であったと思われる。
空襲警報で防空壕に避難していることを想定し、一旦は千葉沖まで通り過ぎ、人々が防空壕から出てくる頃を見計らって引き返して爆撃したという。焼夷弾を多量に落とした。
日本が悪いから、戦争を終結させるためにやむを得ない処置だったと学校では習った。
これに限らず、勝った側の戦争犯罪は沢山あったようだが、それを白日の下に晒して謝罪しろなどという人はまずいなかろう。
少なくとも、K国のように国レベルで言うことはない。

国際紛争には、自衛権と報復権があることが国際常識である。
流石にこれを否定する政党はない。

ABCDラインによる封鎖は、宣戦布告に近いものであったし、日中における戦いに参戦していた義勇航空隊フライング・タイガースは、撃墜する日本機1機につき、500ドルの契約で雇われたアメリカ軍の「正規兵」であった。
後に敵将マッカーサーが米議会で証言した通り、日本は安全保障上の自衛戦争を戦ったのだともいえる。
もっと怖い話もある。
核保有国は、いずれも先制攻撃に核を使わないと言っている。
そうなると、報復権の行使ということで核を使うことができるのは、世界で日本だけということになる。
「日本は核を持っていないじゃないか。」というのは当たらない。その気になればいつでも核を持つことができるのだというのが、これまた世界の常識となっている。

日本から戦争を起こすことは、まず皆無といってよいと思われる。
それだけに、法をきちんと整備して、普通の国になることを考える時期にあると思う。
それが世界の安定に資することになると感じられてならない。


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