2016年11月4日金曜日

事実認識をするのまで修正主義と言われたのでは

遺跡の発掘などにより新たに出土されたものを研究して、今まで定説となっていたことが改められることというのは多々ある。
それを歴史修正主義とは言わない。

明らかに捏造であったと証明されたものや、プロパガンダとして作られたものだと出所まで明らかになった物があったとき、それに基づいて今までの誹謗中傷に対して事実を説明することを、歴史修正主義だと言って封じこめるのは、理論的ではあるまい。
事実を検証しようとするのまでが修正主義というには当たらないと思うのだが・・・

歴史というのには流れというものがある。
例えば、支那事変は、1937年(昭和12年)7月の盧溝橋事件を発端として北支(北支那、現中国の華北地方)周辺へと拡大したということになっているが、何故そこにいたのかということを抜きにしては語れまい。突然そんなところに行ったわけがない。
西欧列強の半植民地と化していた中国は、内戦や匪賊により治安が悪化していて、今で言うならPKOのような状態で、頼まれて治安維持に向かった先であった。
検証の出発点を間違えてしまうと、事実は捻じ曲がった説明となる。

いろんな意味で悪者をつくっておきたい国際事情があることはわかるが、ゆえないことにまでいつまでも我慢を強いられるのには限界があろう。
解釈の問題ではなくて事実確認ということは、人類の将来の為に不可欠なことだと思う。
いいわいいわで済ましていて良いことだとは思えない。

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