2017年12月12日火曜日

万世一系ということで来た文化

価値のあるものを無駄にしたり、まだ十分使えるものを捨てたりすることを「勿体ない」というが、自然界や神仏など、そこに命や霊的な存在を感じて畏れ畏まる対象としてきたものについても、日本人は「勿体ない」という表現をしてきた。
尊敬するものと自分とのかかわりというものを決して疎かにしないという感性を、文化の域にまで高めた言葉なのだと思う。
古くから世界に類例を見ないほどの識字率を誇り、多言語に優る語彙数を駆使して、精神性も自然に培われてきたに決まっている。
何故なら、思考・思索は言語を介してなされるからである。

天皇陛下が譲位遊ばされる日が決まり、皇統の継続ということに議論は進む。
過去に女性天皇がいたということはあったが、それが女系天皇ということには結びつかなかった。
男系で、2600余年続いてきたのである。

男女同権だとかイデオロギーでとかでしかものを考えられない人たちは、血統がただ続けばいいではないかということに世論を導きたいらしが、そんなことではあるまい。

表現が適当かどうかわからないが、天皇家というのは、いうなれば宗教・信心の対象として圧倒的大多数の国民に敬愛されてきた存在であり、現在の価値観を遙かに超えて包括的な伝統文化だといえる。
いらないと言う人も、信心はしないという人も、居るには違いないが、長きに亘って精神的に染み付いた感情文化を軽々にとらえられるものではあるまい。
理屈や計算式通りにいかなくっても、曖昧さを抱えたままでも勿体ないとする文化なのではないだろうか。
失われたら取り戻すことが叶わなくなることには、残すことに知恵を絞った方が良い。

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