2017年12月26日火曜日

日本が無償で架けた橋

紛争を乗り越えて、隣国同士が友好関係を結ぶに至ったことに、日本が大きく関わっている。
嬉しい記事を読みました。
(ジャイカの記事からです。)

エルサルバドルとホンジュラスの国境に架かる「日本・中米友好橋(エル・アマティージョ橋)」というのがある。橋の入口には「日本と中南米の友好橋」と書かれている

これは、日本の無償資金協力により建設されたもので、長さは約170メートル。両国間の国境にかかるこの橋は、パナマ運河に代わる物流の新たなルートとして注目されているだけでなく、今後2ヵ国が友好的な関係を築く願いが込められています。
1960年代、両国間には国境問題に加え、エルサルバドル政府が工業化の推進と大土地所有制を維持するため、貧しい農民をホンジュラスへ移民させたことから関係が悪化していきました。
そうした中、1969年のFIFAワールドカップメキシコ大会出場をかけたプレーオフが発端で、エルサルバドル・ホンジュラス戦争(100時間戦争、またはサッカー戦争とも呼ばれる)が起こりました。この戦争は米州機構の調停により停戦しましたが、ホンジュラスから農民たちが追い返されてきたり、ゲリラ連合組織「ファラブンド・マルチ民族解放戦線(FMLN)」が台頭したりと、エルサルバドルの情勢は不安定になりました。やがて、エルサルバドルは貧困と内戦に苦しむ時代を迎えます。

停戦となってから両国間で平和条約が締結されるまで、10年の歳月を必要としたうえに、懸案となっていた国境線が確定、合意されたのは2006年のことでした。

現在、エルサルバドルのラ・ウニオン港からホンジュラスのコルテス港まで、太平洋と大西洋を陸路で結ぶルートである「ドライ・カナル」が整備され、国境にかかる橋は、パナマ運河に代わる物流の新たなルートとして注目されています。
橋の竣工式には、エルサルバドルのサカ大統領、ホンジュラスのセラヤ大統領および外務大臣、事業に関わった両国の公共事業大臣、中米統合機構事務局長、地元市長、在エルサルバドル、ホンジュラス両国の日本大使が参加。さらには近隣国のグアテマラ外務大臣も参加し、40度近い猛暑にもかかわらず、報道関係者を含めた数百人もの観客が集まりました。

スピーチでは、ホンジュラス、エルサルバドル両国の大統領、グアテマラ外務大臣の3者が、日本の協力への厚い謝辞を述べるとともに、他の中米諸国が今日の世界経済危機に対応していくためには、政治、経済、社会とさまざまな面での連携が必要であると強調しました。

戦争勃発から40年、日本の協力でできた「日本・中米友好橋」が、中米地域の安定や発展、平和の架け橋となるよう、JICAは今後も支援していきます。

ホンジュラス事務所


0 件のコメント:

コメントを投稿