2017年12月25日月曜日

余分に修行させて貰っているとは中々思えない

人はこの世に命を持って生まれてくる。
誰もそんなことを意識してはいないだろうけれど、この世には精神の磨きをするために生まれてくるのであるから、今生での目的というのを選んでのこととなる。

そうであれば、乗り越えられないほどの試練を抱えて生まれてくる筈はないのに、実際には苦しい思いを山ほど経験する。
楽しいことも織り交ぜて経験するように望んで生まれてくる筈なのに、それはどこかへ行ってしまいさえする。

命という字を分解すると、人は一度は叩かれるという組み立てになっている。
一度どころか、何十回も何百回も叩かれるのが普通だから、よほど気を確かに持っていないと精神的に折れてしまう。
その分余計に修行させてもらえたのだと思えれば良いのだが、なかなかそうは行きにくい。

全部の場面で真剣に対応して乗り越えるのが厳しいと思ったら「まあ何とかなる。」と、ちょっと気を緩めてみることも必要なのかもしれません。
そうすることで生を全うできる。
さもないと、精神を傷つけたり命を縮めることになりかねない。
今生でできなかったことは、来世で生まれ変わったときでの宿題ということで、神様にご勘弁頂き、猶予を与えてもらわないと無理なこともある。

できる限り他人様に迷惑をかけないようにしたいとは思うが、幸せになるために生まれるのだということが第一義なのだから、楽しいこともあって良いのだと思う。

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