2017年12月7日木曜日

戦後に広まった噂というのがあった

天皇陛下のご譲位問題であるとか、皇統の継続が心配されるという記事を目にすることがある。末永く平和にご系譜が続いていくことを願ってやまない。

戦後、記事にはならないで噂が広く伝わったが、終戦前の天皇家財産は、当時の財閥10個分にも相当する巨額のものであったとされる。
それを終戦間際に、陛下が我が身の今後の為を考え、皇室財産の大半をスイス銀行等に秘密裏に移させたのだとまことしやかに囁かれたのだというが、連合軍の艦船や潜水艦の目を逃れてそんなことができたとは、俄かには信じがたい。
「朕はたらふく食っている 汝臣民飢えて死ね」などと言って民衆を煽った左翼革命家たちが居たそうだが、それに類する辺りから出たデマなのだと思う。
確かに資産が集中するような仕組みが明治以来できていたとは思うが、日本の天皇家は、他国の王侯貴族のような奢侈には走らなかった。贅沢というよりどちらかと言えば質素で、国民の平和を祈るという神官であったから、その姿勢を古来より貫いていることを、国民は感じ取っていたのだと思える。
そうでなかったら、日本において戦後まもなくであれば、簡単に共産革命は起こせたかも知れない。
終戦後、占領軍の総司令官であるマッカーサー元帥を陛下が訪問し、全ての将官軍人・政治家その他の如何なる者の罪も我が身一身に負う、如何なる裁定が下されようと受け入れると申し出たことで、占領軍総司令官を心服させたと伝え聞く会談からも、財産の移転などの噂は疑わしい。

連合国諸国もアメリカ本土も、天皇処刑を要求していたことを陛下が知らなかった筈はないし、生き延びられるということは考え難かったに違いない。死をもって皇祖皇宗とそのおおみたからとしてきた国民に対する謝罪をしようとしていたことが、終戦の詔勅にも見て取れる。
死ぬ心算の人が財産などに目をくれていただろうか?
その後、飢える国民を心配して、一人の餓死者も出ることのないようにと、皇室財産の目録を外務大臣を通じて提出し、それをもって食料を確保してくれるようにとマッカーサー司令官に懇願したのも、歴史事実として残っているではないか。
マッカーサー司令官はそれに見事に応えてくれたのだと思う。
それらの噂は、徒に天皇陛下及び皇室を貶めようとした悪意を感じさせられてならない。

終戦直後の194511月、GHQ(連合国軍総司令部)は「天皇は世界有数の財閥であり、ただちに財産税賦課によって適切に処理されるべき」として、皇室財産の解体に着手した。
隠し財産があったとしても見逃した筈はあるまい。それを見つけたら天皇責任論のための良い宣伝材料とできたのだから・・・。
GHQによる評価の結果、弾き出された昭和天皇の財産は371563万円(当時)だった。
主な内訳は、皇居や赤坂御用地といった土地(77263万円)、宮内庁舎などの建物(23414万円)、皇室所有の御料林の木材である立木竹(163976万円)、美術品(44949万円)、有価証券(22012万円)、現金預金(5500万円)などとなっている。
確かに、物凄い資産ではあった。
しかしGHQによって評価された天皇家の財産は、いきなり大半が消えることとなった。


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