2017年12月8日金曜日

12月8日は忘れられない日

「神風特別攻撃」をどう思うか?「貴方だったらそれはできるか?」という質問を現代の若者に投げかけて答えを引き出そうとする動きというのがマスコミにはまだある。
「愚かなことであった」という答えを引き出したい下心が丸見えである。
先の大戦がどういうものであったのか、現実的にどのような状況下にあったのかについて、判断できるような知識を持たない人に突然質問したら、返ってくる反応は聞くまでもなく判っていることをやるのは、かなりあざとい。
おまけに「天皇の為に」という枕詞がついているからなおさらである。
日本の過去を貶め、全てを否定したいとする思惑があるように見えてならない。

現憲法下でも、天皇は象徴ということになっているが、天皇は長い歴史の中で「権威」の象徴ではあっても絶対的「権力」を振ったなどという時代は殆ど無いのではなかろうか。
権威の象徴であったからこそ、皇統は続いてきたのだと思う。

戦死した人も特攻に出た人も、自分が命を懸けてでも守らねばならないとした人たちの為だということを、一口で端的に表せるものが「天皇」ということだったのだと思えてならない。

日本は満州事変に続き日中戦争を起こし、中国大陸へ勢力圏を広げる軍事行動を続けていた。昭和16年(1941年)7月23日、日本はフランス領インドシナの南部(南部仏印)に軍を進駐させて占領した
この事態を受けて、アメリカは8月1日に対日石油輸出禁止を実行した。
当時の日本にとって、アメリカから石油を輸入できないのは、どれほど大変なのかということは、想像を絶する。資源小国の日本が輸入する石油の77%がアメリカから輸入するものであった。前年の昭和14年(1939年)では緊急輸入もあって、90%にも達していた。
それが、昭和17年には石油の備蓄が尽きると言う危機的状況に陥ったということになる。
アメリカ以外で石油を輸入できる所はあったが、それがオランダ領インドネシア(蘭印)であった。
日本は蘭印政府へ、今までの50万トンの輸入から100万トンに増量して欲しいと交渉していたが、オランダは当事イギリスと同盟を組んでドイツと戦争を戦っていた。
アメリカとオランダからの石油が止められ中国と戦争を続け、ドイツの同盟国として日本を警戒するイギリス。
この4ヶ国に囲まれ、石油禁輸など経済封鎖を受ける状況に、昭和16年の日本は追い込まれていた。
昭和15年から鉄屑や鋼鉄・工作機械の輸出停止など、アメリカらからの経済的圧力を受けていたこともあり、日本の軍部はアメリカとの開戦は回避できないと考えていた。
一方で、外務省や総理大臣の近衛文麿は外交交渉で何とか解決を図ろうとしていたが、軍部の強硬さに流されてしまいがちだった。結局、昭和16年10月16日に近衛内閣は総辞職してしまうことになった。
それに代わっての政権、近衛内閣で陸軍大臣をしたのが東条英機であった。
東条英機には陸軍を抑えてアメリカと和平に向かう事が望まれていた。
天皇陛下からも「外交的和解に努力せよ」とのお言葉を頂き、外交による解決を第一に考えてはいた。
東条内閣と軍部は、日独伊三国同盟で日本は自動参戦しない、中国大陸から撤兵などを盛り込んだ「甲案」を出すが、アメリカとの交渉は進展しなかった。
東郷外務大臣は、仏印からの撤兵に触れる乙案と言う譲歩案を強硬に押し通そうとした。
東条内閣は二つの譲歩案でアメリカとの交渉に望みを繋げたのであった。
この譲歩案が通らなければ、軍部からの圧力によって開戦に踏み切る気運が一気に強まる絶体絶命の状況に陥っていた。
アメリカ側は諜報活動によって「乙案」を最終案だと伝える外務省から日本大使館への通信を知って、アメリカ政府は日本政府が開戦に向けて動いていると解釈してしまった。
11月26日、アメリカ政府のハル国務長官(日本で言う外務大臣)から日本政府への要求書が提出された。いわゆる「ハルノート」である。
中国大陸への進出による権益取得に出遅れた米国は、黄色人種である日本をどうしても叩きたかった。
内容は、日米間の新たな経済関係作りが多いのであったにしても、仏印と中国大陸からの全面撤退という日本の軍部が受け入れられない内容が主であった。
石油備蓄もなく、アメリカと軍部に時間をかけて説得できないのも「ハルノート」を最後通牒と受け取ってしまう背景となった。
ハルノートを受け入れても、米国は何か仕掛けて、強引に戦争に持っていったと思われる。
ルーズベルトは戦争がしたかったし、何よりも何故か日本を憎んでいて滅ぼしたがっていた。
これは、ルーズベルトの側にいた人たちが、後に証言していることである。
降伏して植民地とされる屈辱に甘んじるか、敵わぬまでも乾坤一擲戦って活路を見出すか、という選択肢しか、当時としてはなかったのだと感じる。
後の時代になって、そういう苦衷を思い遣ることもなく批判することは簡単だが、それでは浮かばれないことが多すぎる。
開戦やむなしということに至ったそれらの判断を、認めることはできないにしても、理解しようとするくらいはしないでは、一体何様だということになりかねまい。
大きな犠牲の上に今があるのである。


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