2017年12月6日水曜日

Y染色体から判ってきたこと

科学が進歩することで、考古学上言われていたことが全く変わってしまうということは有り得る。
歴史と言うのは本来、イデオロギーや国同士の思惑で決まるものではないのだが、教えられることにはその影響が色濃く出る。
しかし、科学によって明らかになってくるものを、歴史修正主義ということは出来ない。事実が事実として解明されたということになるだけのことである。

「中国から漢字が伝えられるまで日本には文字がなかった」と、日本人の大多数はそう信じ込んでいる。義務教育の小・中学校はいうまでもなく、高等教育の場でも繰り返し、そう教えられてきたからだが、実際にはそれ以前に日本にも文字は存在していた。

平成3年7月、佐賀県大和町の東山田一本杉遺跡から出土した弥生前期末の甕棺から、「古代南インドの象形文字」が発見された。
日本人考古学者が見逃していたものを、たまたま調査に訪れた、インド人考古学者ポンナムバラム・ラグパティ博士が発見したものである。
意味は不明だが、甕棺の側面に、縦十五センチ、横十九センチの大きさで十字に引かれた線の先端が熊手状の文字が描かれていた。ラグパティ博士は「紀元前三世紀頃まで南インドの土器に描かれていたグラフィティという古代文字と同じだ」と語り、驚きの声をあげたという。
しかし、この程度で驚いてはいられない。紀元前2500年から紀元前300年頃に使われていたと思われる古代シュメール文字やバビロニア文字、ギリシャのピロス文字、中国の甲骨文字のルーツと思われる文字が、西日本一帯において、続々と発見されているのだという。(日本ペトログラフ協会調べ)

つまり、インドどころの騒ぎではなく、超古代の日本人が世界各地と交流していた形跡が見られるのである。
ただし、それらの発掘物が、世界各地から古代文化を伝えた部族が集団で日本列島に渡来し、それぞれのルーツを伝える文字を岩に刻み込んだものなのか、逆に日本で発明された古代文字が世界各地に伝えられ、定着し完成するに至った形跡を示すものなのか、これだけでは判らない。
いえることは、いずれの文字も、超古代文明の遺産とされる巨石文化遺跡の大岩に刻まれた状態で残っているところを見ると、紀元前2500年どころか、その起源はずっと古くまでさかのぼる可能性があるということである。
そして、日本列島が、古代文字の発祥の地だった可能性があるということでもあり得るということになる。

岩石に刻み込まれた文字や模様をペトログラフという。具体的には巨石に刻み込まれた岩刻文字・文様のことを指すが、このペトログラフ こそは数千年から数万年前に存在した古代文明に古代文字が存在していたことの証明 であり、日本のみならず世界中に分布・発見されていることから、古代人の行動範囲を 推測する重要な手がかりとして、最近とみに注目を集めている新しい学問なのである。

日本各地で発見される縄文遺跡からわかってくることも多い。
稲作は朝鮮半島経由でもたらされたとされてきたが、縄文遺跡から出土した稲のDNAを調べると、どう考えても、日本から朝鮮半島に渡ったのだという結論になるのだという。
人もまた同じで、Y染色体を調べてみると、日本人は頭初から独自の染色体構造をもっていたことが判明したことで、それが半島や中国の人たちには全く存在しない染色体だというから、半島経由で渡ってきて住み着いた人たちが主とはならない民族だということになる。
渡来人が多かったことは事実としても、そもそも日本人の祖先が既に居た地ということになる。
天皇家の継承は男系でなくてはならないとするのも、Y染色体は男系のものだからという説にも起因するらしい。
縄文時代にしてすでに、列島内に何らかの流通経路はできていたとしか考えられないこともある。
例えば、日本国内の一部地方でしか産出されない黒曜石や翡翠などが、日本全国で発掘されるからである。

時代は下って古墳時代の遺跡ともなると、日本独自の形式である前方後円墳が、多数韓半島で見つかっているのだという。
韓国では、日本の支配が半島に及んでいたことを示すそれらの遺跡は、自国の主張にとって都合が悪いから、それらを躍起になって破壊しているのだというが、そんなことをしたからといってどうなるものでもあるまい。中国や日本の古書に、日本の支配が及んでいたことが示されている。
いずれにしても、歴史と言うのは政治・経済イデオロギーで都合よく説明しようとする対象のものではない。
事実は事実であって、良いも悪いもないのだとする姿勢を保って研究しないと、真実にはたどり着けないものなのではなかろうか?認めるべきは認めるということから学問は進む。

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