2018年4月5日木曜日

ずれていては核心に迫れまいに

サンデーモーニングの番組において、O氏が「丸川議員の質問を以って関わり無しが明白になった、って私にはその筋がどうしても通らない。指示なしの『無し』って証明はできない。なかったんですってことが証明にならない」と言い放ったそうである。
確かにそうかも知れないが、「あった」として証人喚問した側が、あったことを証明しなければならない立場だったのではなかったのか?
なかったことをなかったと証明することは難しい。悪魔の証明 と言われる所以でもある。法治国家においては、立証責任は疑惑がある、とする側なのではないのか?

A新聞のJ記者が「なるほど昭恵夫人は騙されたのかもしれない。しかし教育勅語に吸い寄せられて騙された方が悪い。」というような内容のことを言っているらしい。
土地の値段値引きについて関与があったから悪い、ということではなく騙されたことが悪いのだという論調に変えたのだということに他なるまい。
それは、今までの報道の仕方について、逃げ道を作っているとしか思えない。
国民の多くが、報道に対し懐疑的になってきているのに危機感でも覚えたということなのだろうか。
報道しない自由も含め、書いたシナリオ通りに事が運ばないからだとしたら情けなさすぎる。

マスモミと野党が総がかりで1年にもわたって騒いできたが、土地取引に関する不正があったかどうかではなく、本筋と離れた広範囲な方向に行ってしまっているように思える。
いつまで時間をかけても収拾はつかない事案となってしまっていないか?

一連の動きの中で明確になったのは、籠池氏の補助金詐欺だけである。籠池氏は逮捕されたが、関連して浮かび上がってきた同様の土地取引であったと思われる野田中央公園についてのT氏の疑惑は、スルーされたままである。
T氏が政権与党にいたときの話しであり、東日本大震災のときの義援金収支報告もされていないと取り沙汰されてもいるから、お構いなしというわけにはいかない。
こちらは何故に報道もされず問題視もされないのだろうか?疑惑だといえば同じなのではないのか。

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