2018年4月8日日曜日

国を挙げて女性を貢ぎものにしていたとは

韓流ドラマ華やかなりし頃、「奇皇后」というのがあった。
ドラマであるから虚実とりまぜてということではあろうが、かの国のドラマ特有の権謀術策が渦巻く、観ていて胸糞が悪くなるものの一つではあった。
よせば良いのに、腹を立てながらも全編みたというのが、今にして思えば不思議である。
そこで「貢女」というものを知った。女を貢ぐって何なのだ?

ウィキペディアによると、貢女(コンニョ)とは、やるにことかいて、一般に女性を朝貢品のひつとして献上することである。
幸いにして後に帰国が出来た女性であっても、朝鮮国内では還鄕女(ファンヒャンニョ)として蔑視・差別待遇を受けたというから気の毒過ぎる。
現在でも朝鮮語・韓国語で女性を節操のない女だと罵倒して卑下する言葉として用いられるファニャンニョンの由来となっているのだという。
5世紀に高句麗・新羅から中国の北魏に送ったという記録があるというが、朝鮮から貢女の献上が最も盛んに行われたのは高麗後期から李氏朝鮮時代にかけてだった

高麗時代の献上先は蒙古(元)・契丹・明などであり、貢女だけでなく、使臣への賄賂も含め多くの朝貢を強いられていた。
高麗時代の1番目の資料は結婚都監を置き、140名の貢女を行い、2番目は貢女確保のために国中の婚姻が禁止されて、3番目に資料では寡婦處女推考別監という役所を設け組織的に対応していることがわかる
要するに国を挙げてこの屈辱的行いをしていたということになる。

中国本土の使臣によって私的に連れて行かれたケースを含めると、朝鮮半島から献上された貢女は数えきれないほどの数にのぼると言われている。
朝貢は高句麗と新羅に始まり、高麗末以降に盛んに行われた。特に朝鮮第3代王である太宗と息子で世宗大王として韓国で最も評価されている朝鮮王である世宗の在位当時が朝貢も最も多かった時期であった。

朝鮮では選抜機関を設置していたし、明の巡察使が各地を物色した。貢女候補に選ばれると娘の顔に薬を塗り傷を付けたケースや出家させるケースもあり、娘が生まれると幼児のうちに嫁がせることまであった。
そのため、李氏朝鮮時代には朝鮮王が「12歳以下の女子については婚姻を禁ずる」法令を下した。李氏朝鮮3代王の太宗8年には、処女30人が選抜されたが、中国の使臣は「美しい女がいない」として罰しようとし、娘たちも指名を避けるため、障害があるかのように装い、太宗は「処女を隠した者、針灸を施した者、髪を切ったり薬を塗ったりした者など、選抜から免れようとした者」を罰する号令を下した。
属国の悲しさといえばそれまでだが、国王が国民の為に命がけで抵抗する気概を示さなかったことは確かである。
長き時代にわたってこれが続けば、国民の意識に今に至るゆがみが生じたこともあったに違いない。

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