2020年8月25日火曜日

偏り過ぎて嫌われているのではないのか


立憲民主党と国民民主党が合流するのだというが、「政権交代が可能になる野党をつくる」という掛け声は立派だけれど、国民が納得することができる政策を明確に示しているわけではない。
一体どんな社会を目指すのかを提示すことはできず、上げ足とりと審議拒否を繰り返すことしかしてこなかったから、国のための法案をつくる能力が鍛えられているとは思えない。
過去に「一度は政権交代させてみよう」との宣伝文句に惑わされて、民主党が政権を担ったことがあったが、見るも無残な結果となった。
国民は心底それに懲りたから、その後彼らが何を言ってみても、支持率は上がるどころか下げ続けている。今更頭数揃えをしようとしたところで、信頼が回復するわけがない。
それはそうだろう。共産党と組んで、一体何をしようというのか?

スターリンにしても毛沢東にしてもポルポトにしても、共産主義を掲げた独裁者たちは、ナチスのヒットラーどころの騒ぎではない人数を殺した。それを取り上げて批判する政党もメディアもないが、戦勝国だからと言って見過ごしたままで済ませられるものではあるまい。
それによって出来上がった共産主義国家が、国民の幸せに結びついているとも思えないが、いわゆる極左をリベラルと言ってあたかも進歩的であるかのように括るのも変な話である。

米国の大統領選挙の副大統領候補者は、紛れもまく極左である。場合によっては大統領になる可能性があるのだけれど、左巻きが好きな日本のメディアは、N局にしてもA局にしても応援一辺倒のように見える。他国のことに肩入れしすぎていて大丈夫なのか?
日本国内であれば、彼らの報道が左寄りだと判断しているから大目にみてくれるかも知れないが、外国のことは公平に報道しないとまずいのではないだろうか。

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