2020年8月29日土曜日

放送のプロは気を付けないと


言葉の乱れは人の精神活動の乱れにも通じる。疎かにしていてよい問題ではない。
昔のラジオ放送時代のアナウンサーは、こんなのを読み間違いしなかった。
日本語は言霊をもっているのだから、正しく読んでほしい。

蔓(vine)と鶴(crane)、折る(fold )と織る(weave)、熱い(hot)と厚い(thick
これらは読み間違いようもないもののではないのではないのか?
専門家でもないのにドキュメントなどでアナウンスを担当する人は、事前勉強が必要となることがあろうにそれをしないで、雑に読んでいるとしか思えないことがある。
鑿を蚤と読んだら恥ずかしいだろうに。
木造彫刻を紹介する番組で、蚤一本で・・・と繰り返したら、聞かされる方はたまらない。

若いから仕方ないかもしれないが、「くべる」というのを正しく読めないアナウンサーもいた。
漢字で書くと「焼べる」となるが、くべるとは、 燃やすために、火の中に薪( まき)・紙などを入れる。 ことをいう。
実物を見たことがないだろうから、これも仕方ないが、行李(こうり)というのを氷と読んでいた女子アナがいて仰天した。視聴者からの投稿を紹介したのであるが「押し入れの中の氷」というのが最初なんだか解らなかった。上司のチェックというのはないのだろうか?。

大の大人でも「陰陽師」を陰陽寺と同じ読み方をして平気な人が多い。陰陽道を司る者を陰陽師と呼ぶのであるから、読み方は決まってくる。
「鐘を突く」「杖を突く」と「餅を搗く」「運が付く」も違う。
「野菜を漬ける」「水に浸ける」と「電灯を点ける」「衣服を着ける」

「生きよう」「死にざま」というのがセットの表現である。自分の生き方が美しくないと謙遜して、自分のことを生きざまというのは良いにしても、他人様の生き方を生きざまと平気で言うのは如何なものかと思う。
夫に先立たれた夫人が自らのことを卑下して「未亡人(未だ滅びざる人=本来なら共に死ぬべきであるのに)」と言ったのが始まりのことだと思うが、他人様を未亡人と平気で呼ぶようになったのと似ている。
他にも、日本語には決まった表現というのがある。牛は「追う」だし、馬は「引く」である。

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