2020年8月3日月曜日

人としての弔意


天の声を人が語るということなのだと言ってはいるが、天界と人界の仲立ちをする人が、天の声を正しく人に伝えているとは限らない。お得意の伝えない自由とやらもあるだろうし、書く人の偏った思惑が強く表れてしまうことだってあるだろう。咎めだてする心算はないが、以前ほどにはこの欄を信奉する人が多くなくなったのではなかろうか。
国民感情と乖離するようなことを言ってみても、自分で物事を判断するようになった人々を思い通りに誘導できはしまい。

無血で台湾の民主化を成し遂げた偉大な政治家である李登輝元総統が亡くなられたとなったら、何をさておいてもまず第一に掲げなくてはならないのが、深甚なる哀悼の意と、李登輝元総統の実績に対し追悼することであろう。それが、日本人の普遍的信情に沿ったものになるのだと信ずる。
それなのに、ことさらに台湾旅行をしたときに聞いた犬の名が「ポチ」という日本語だったことが寂しさを感じさせたなどという文章を取り上げている意味が解らない。

李登輝氏は「私は22歳まで日本人であった。日本人の和の心を大切にして、ものごとに対してきた。」と正々堂々公言し、日本の良い所を世界中に宣伝してくれた。
対ソ連包囲網ということで、国際情勢上やむなく台湾との国交を断つことになったが、多くの心ある日本人が、それに対して忸怩たる思いを抱いていることは事実である。
恩義に報いてこそ人と考える日本人が、その恩義に報いることができないうちに、李登輝氏がこの世を去ってしまったことを悲しんでいるのである。

コロナ騒ぎはあるし政治的な思惑もあって、葬儀がどのようなものになるか判らないが、人道的に考えても、日本から然るべき方が葬儀に参列できるようにして欲しい。
幸い、森元総理が手を挙げて下さっているようだが・・・

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