衆院本会議では10月11日から岸田文雄首相の所信表明に対する代表質問が始まりました。
立憲民主党の枝野幸男代表は「選択的夫婦別姓」と「LGBT平等法」」の制定の必要性を訴え、岸田首相に見解を求めましたが、岸田首相はどちらにも消極的な姿勢を崩しませんでした。
生物的には特別措置となる同性婚であれば別姓であっても構わないかもしれないが、当然な対応だと思う。
別姓を認めることで偽装結婚などの悪用が懸念されることも指摘されており、夫婦別姓を求めるより、通名の禁止が先なのではないのか。
他にも別姓を認めないのは日本だけだという意見を述べていた質問者がいたが、何が狙いなのか解らない。
必要性があるからそれを全て認めるということになれば、全般的な法体系は崩れる。
他国がそうしているから日本もそうすべきだというのは、極めて乱暴だとしか言いようがない。
それぞれの国にはそれぞれの文化が有る。その国のバランス上のことは、表面だけでは判らない。
外国に出かけると、どうでも良いことをF国ではこうしますとかG国ではこうしますとか言って押し付けられるものがあるが、「日本人はそのようなことはしません。」と言い切れる文化がある。
他国のやっていることを全て真似しなければならない理由はない。
優れているものは優れているのである。例えば、日本人は手を洗うのに貯めた水を用いることをしないで流水を使うのも、古来からの文化である。それが衛生上如何に優れているかはいうまでもないが、それが他国にはない流儀である。
個人の権利ばかりが優先されるのでは社会の安定性は成り立たない。
権利の主張には必ず義務の裏打ちが必要となる。義務は犠牲的精神が伴うが、そこに自分勝手なだけではない思いやりの絆が生まれる。
個人の次の単位は家族であり、それが安定することで社会も安定し、ひいては国も安定する。
根幹にかかわることは、個人的な都合ばかりを重視して決めるわけにはいかない。
第一、子供の姓はどうするのか?
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