2021年10月28日木曜日

民間人の責任だって果たしていくのは楽ではない

 

婚姻は両性の合意にのみに基づいて成立するということに異を唱えるつもりはない。

しかし、その婚姻に危惧を覚える事象があるからこそ、反対する声が多かったのだと思う。

日本国民が皇室に対して持つ親近感は、皇族の結婚が幸せであれかしと願うから、好きにしてくれと言っていられない感情に突き動かされた結果であろう。

 

事実ではない誹謗中傷に恐怖感すら覚えたというが、事実ではない誹謗っていうのは何を指すのか?それを一つたりとも明確にしていない。

 

皇位を継承する立場での婚姻ではないのだから、なるべく早く皇族から離脱する覚悟でいるので、「好きになってしまった人と結婚させて下さい。」と真剣に気持ちを表明していたら、事態はもっと穏やかに推移したのだと思う。

 

迷惑をかけた人が多々あることへの認識はあるようだが、自分たちの結婚に無条件で賛成してくれた人たちに対してのみ感謝して会見を終えたのは、少し心得違いのように思える。

皇族は、自分のことをさておいて国民の幸せを祈る立場でいたことが、2600年余の歴史をつないできたのである。

一般国民と違う待遇をされていたのを、特に非難されるようなことが少なかったのも、そういう歴史があったからこそである。

 

失礼だが我意を優先させたことで、皇室と国民の間の紐帯に傷を入れた結果となったことを、終生負っていくことになる。

これを因として皇室不要論がおこることだってあり得よう。

 

国民の大多数が老婆心ととらえられようが、心から案じたのであることは間違いない。末永き幸せを望んだから挙がっていた声を、一顧だにせず誹謗中傷と一括りに切り捨てて済ませられるようなことだったとは思えないが、必要な選択であったと言われれば、これ以上立ち入ることはできない。

 

このうえは、幸せな家庭を築きあげることで、結果として祝福されるようになるしかない。

簡単なことではないかも知れない。

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