2016年2月11日木曜日

スピリチュアルなところを抜きにしては解らない文化

神仏儒を融合させるには、根幹にスピリチュアルなものの共通理解がなくては叶わなかったことは、普通に考えが及ぶことである。物よりも先に精神があった。
その上に出来上がったのが、世界が称賛する武士道。
己を滅し、天下国家の為に働くことができる高潔な精神性を持っていたから、有色人種でありながら一目おかれる存在であった。
それらはいま、戦後教育によって否定されてしまったようにみえる。

戦後、日本人の精神的支柱を外すことに躍起であったようにさえ見える。
武道というものの「道」というのは遠く追いやられスポーツ化したが、勝ち負けの世界ではない、それは精神の修行の場であり、修身ということでもあった。

身を修めることが、あらゆる学問に優先されたことでもあったが、それを言うと反撃されるらしい教育風潮というのは、果たして良いのやら悪いのやら・・・
昔のものが全て良かったなどというつもりはないが、良かったものだって沢山有った筈だと思う。
我々が忘れてしまったそれらを、外国人から逆に教えられるというのも不思議な感じを覚える。

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