2016年2月4日木曜日

修行した芸のもつもの

久し振りに寄席に出かけて、生で落語を聞きました。
前座・二つ目・真打と、その技量の差というのも感じられて、興味はつきませんでした。
流石に真打ともなると、客を笑いに引き込む芸というのは、凄いとしか言いようがない。
今までにも同じものを何回も聞いていて、噺はわかっているのに、思わず笑わされてしまいます。
楽屋口から出てきた師匠に偶然お会いしたので、「今までに4回聞いている噺だったのですが、今日のが一番よかった。」と申し上げたら、たいそう喜んでいました。
あの年にして、この謙虚さ。芸を極めていくということは、こういうことかも知れません。

惜しいことに亡くなられてしまいましたが、歌舞伎の四代目中村雀右衛門の鷺娘というのも圧巻でした。
同じ演目をほかの役者さんも演じるのですが、極めた芸というものから醸し出される存在感というかオーラというかが違うのだと思わされてしまいます。
昔、家内が海外旅行中に、空港の待合室にすわっているのを見かけ、化粧もしていないスッピンだったので、人違いかもしれないと、恐る恐る「大変失礼とは存じますが、雀右衛門さんではございませんか?」と声をかけたところ、高齢にもかかわらずぱっと立ち上がって「はい、さようでございます。」と丁重に挨拶を返されて恐縮したということがありました。

舞踊の中で、世界で一番体にキツイものの一つだといわれている能。
所作の決まりごとを知っていないと解らないといわれていて、もとよりそんな素養がないから、ただ見ているだけなのですが、それでも上手い人は上手いのだと思わされてしまいます。
友人の写真家が、よく能の写真を撮ります。
能の場合は、どの場面で写真をとっても許されるのだという。
すべてに隙のない舞台だということなのか、全てがキメポーズの連続だからかなのか解りませんが、芸事というのは奥が深い。

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