2016年2月22日月曜日

どうして「~かも」って言うんだろう?

「どうも」という挨拶代わりの言葉があります。かなり便利です。
状況で、その後に「有難う」がきたり「すいません」が省略されていることは、すぐ解る。

しかし「~かも」、例えば何かを食べて「これ美味しいかも~」というのは、聞いていて気持ちの納まりが悪い。
旨いか不味いか等は本人の主観なのだから、自分が感じた通りに言えば良いのに、何で~かも~などとボカサなければならないんだろう?

「かわい~い」というのは、もはや大っぴらに使われるが、「可愛らしい」「小さい」を表すだけではなくて、「シャレてる」「美しい」「欲しい」「見事だ」などをひっくるめて、語彙の不足をカバーしているようにしか聞こえないと、幼さしか感じられない。

美しい言葉を選んで的確に話す人をみると、それだけで教養の高さと育ちの良さを感じる。
言葉で全人格を見られていることに、もっと意識を払ってもよいのではないだろうか。

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