2016年2月5日金曜日

国が滅びても良いというわけにはいかない

憲法の名宛人は国であるから、憲法というのは政府が国民に対して守る条文であることは、その通りである。
その意味で、憲法9条を守れ!というデモは理解できなくもないが、国際情勢は憲法制定時と余りにもかけ離れてきている。
憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と明記されていても、その信頼が、もはや揺らいできてしまったということではないのか?
いうまでもないが、反対も賛成も含め、意思表示をするためのデモを否定するわけではない。

誰でも、戦争は嫌いだし反対であろう。これには右派も左派も無い筈である。
しかし、浅学にして、愛国左派というのを知らない。
これは国粋主義のことをいっているのではない。
彼らは、国体を護持するための納得できる方策を公示しているのだろうか?
反対だけを叫ぶのでは説得力がない。
国民を守る国というものがなくなったら、国民がどんな悲惨な目に会うか、難民として彷徨うしかないことがどんなものかということを、一般人は知ろうともしないでいなさすぎないか?
そこから目を逸らさせるためのレッテル貼りやプロパガンダであるなら、それに乗っていれば困ったことになる。

日本は戦争をしないために、努力を重ねてきたことは間違いないと思うが、それが立ち行かなくなってきたとしたら、政府に対してデモをすると同時に、諸外国に対しても「日本は、戦争をしない為に努力してきた。軍備を増強しなくてはならないような挑発をしないでくれ!」というデモもするというなら解る。そんなものは見たことがない。

中東では、サウジと組んだイスラエル対イランの関係が厳しさを増し、そこに宗教問題がからんで、いつ戦争が起こってもおかしくない様相を呈しているという。
核戦争に結びつく危険性もある。

中国も、西域の抑圧された民族が暴発するかもしれない状態だというし、そうなれば国が分裂するような内戦となる可能性も想定に難くない。南シナ海や東シナ海どころではない。
世界は、遠いようでも近いのだと考えないと、大勢を見誤る。
世界中に抑止力が働きあわねば、第三次世界大戦の危険性だって否定しきれない時代なのだと思えてならない。

さる女優さんが、武器を持たないことが積極的平和主義だとTVで述べて、鍵を掛けないことが泥棒除けの積極的方法だということとの論理矛盾を指摘され、おビーエーケーエーぶりを満天下に曝したことが前にあったが、ことは単純なものではない。

対国内と対国外が違うのだということが現実なのだと認識できないと、情緒だけで国際間の問題解決には結びつかないというのが厳然たる事実だということでもある。
幅広い視点と考察が求められる。どうしたら良いのかを考えるときは、感情的に好き嫌いをいっているわけにはいかないのだと思う。
はっきりしているのは、憲法学者が国を守ってくれるわけではないということ。そもそも働きが違うのだから、実情に合った法体系はどうあるべきかという視点も加えて主張しないのは教条的すぎだということにならないか?

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