2016年2月7日日曜日

立証と反証が科学だと思うが

よってたかって持ち上げたり叩いたりするということがあるとき、何とも言えない不安感を覚えます。
殊に、マスコミの報道の仕方によって、門外漢までもが固定観念となってしまうような報道の仕方であると、余計にそれを感じます。
それが、直接的には利害関係のなさそうな人たちまでが、個人に攻撃的非難をするようになると、増々恐ろしい。
後にそれが、結果的には誤った報道がなされたしまったと判ったときでも、訂正謝罪報道というのはまずなされないし、あったとしても、既に取り返しのつかないことになっていることだってあり得る。

最近では、スタップ細胞報道が、それに近いのではなかろうか。
才能豊かな学者が、あたら自ら命をちぢめてしまったという悼ましい結果にも心が痛む。
専門家でもないから、事実かどうかのことを論ずるつもりはないが、そんな悪事を故意に働いたのだとは思えない。
科学というのは、同一条件であれば再現できるものであるということになっている。
あの、緑色に輝く細胞は、一体なんだったのであろうか?

研究者一人に再現実験をさせて、それができなかったということでウソと決めつけてしまったように記憶するが、実験資材・チームスタッフ(今時の研究は得意分野を分担するに決まっている)も、同一条件でやったのだろうか?
トリックだというなら、それがトリックだと証明するのが批判する側の手段であって、それでこそ科学と言える。
緑色に光る細胞は、どのようにしてでき、その正体は何だったのかというのは、今も知りたいことでもある。

まだ読んではいないが、主張に対抗手段がない小保方氏が本を出版したというが、手記だというから学術本ではない。
そうなれば、言葉の端々の不備をついて、素人だって「言い訳本」だとのレッテルを貼ってのコメントをするコメンテーターに同調するにきまっている。
無視するのでは、今までに公言してきたことへのアリバイには弱いのではないか?
イカサマだというなら、証明して見せてほしい。
小保方氏も、ウソの研究を発表したのだったら、静かにしていた方が忘れ去られることが早いとおもうのだが、敢えて問題を蒸し返すことの真意は奈辺にあるのだろう?

急に梯子を外され、神輿を担いでいた人たちが皆で放り出してしまったようにあの時は思えた。
まさか白い巨塔というわけではあるまい。記者会見に並んだ学者の冷たい顔が目を離れない。
最近海外で、似たような成果があったと聞くと、早まった結論ではなかったのかと、何故かあせるのも実感である。
新しいことを始めるのは難しい。
せめて、その分野にチャレンジする若い芽が、摘み取られないで済むような環境が整備されて欲しいものである。

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