2016年2月17日水曜日

何をもって植民地というか?

K国では、日本が右傾化して軍備を強化し、またK国を植民地化しようとしているから、警戒しなくてはならないと、本気で思っている人が多数いるらしい。
過去に、頼まれて併合はしたが、植民地にしたことなどないというのが、日本人の大方の認識のように感じる。
日本人の大多数は、頼まれたってK国を支配するのなんて御免だ、関わりたくないと思っているというのに、不思議なことに思える。
教育の為せる業というのだろうか?
植民地化して、何が奪えるというのだろうか?殊に戦前併合時の状態で、何を奪ったというのだろうか?与えたものの方が多かったのではないのか?

植民地化されるということがどんなことだったのか、ネットで調べてみました。
住民が抵抗ができないで、奴隷化されるのは勿論、人扱いはされない悲惨な状態になる。
英国が最も多くの植民地を獲得していた時代は、19世紀末から20世紀初頭にかけてであり、第一次大戦直前(1914)には、その総面積は3350k(世界の陸地総面積の22%)で、支配下の総人口は4億人(当時の世界人口18億の20%以上)いたという推計があるという。
インドにおいて、英国政府は英国内の木綿業を優先させることもあって、インドが安い木綿を作りにくくさせるために、インドの木綿の作り手たちを何万人も集めて、その手首を切り落とした。
インドの木綿工はそのまま仕事ができなくなって餓死した、というのがある。
ベンガルからインド洋まで、何百万人分という白骨が並んだと伝えられている。

ほかの欧米人たちの非道さは、似たようなものであった。
インドネシア人は、家畜よりひどい存在として扱われていた。
奴隷同然の現地人に対し、鞭打ち・平手打ちは当たり前、粗相をした女性を裸にして、オランダ人農場主がベルトで鞭打ち、さらに裂けた傷口や局部にトウガラシ粉をすりこんで、木の杭に縛りつけて見せしめにした。
刑務所で過酷な労役を課せられていた囚人が、オランダ人の農場より食べ物がいいからと、出所を拒んだという位の扱いがされていた。

米国はフィリピン人に「スペインの植民地支配を終わらせてやる」と言ってマニラに進出したが、その実は、スペインに取って代わって植民地にしただけであった。
話が違うと抵抗するフィリピン人を、米軍は徹底的に殺しまくった。
米上院公聴会では、殺した島民数を20万人と報告しているが、多分そんなもんではあるまい。

帝国主義が悪いことだとして認知されたのは、第二次大戦が終わってからに過ぎない。
それでもなお、往生際悪くイギリスやフランスは、第二次大戦後もしばらく、何とか植民地を維持しようと足掻いた。

岡倉天心「ヨーロッパの繁栄はアジアの屈辱である」

悪の権化とされている日本陸軍の「軍政要領」には、占領と軍政は暫定的であると書いてあった。
1941年11月20日大本営政府連絡会議決定の『南方占領地行政実施要領』には「占領地ニ対シテハ差シ当タリ軍政ヲ実施シ」とある。
日本国及び占領地の行政及び日本軍は、なかなか冷静かつ理性的で、国際的にも恥ずかしくない手続きを踏んで戦争を進めていたのである。
しかしながら、戦後の常識としては、ひたすら日本は領土欲に燃えて侵略のための侵略をしたことになっている。アジア各国を独立させることは日本の考えの中に初めからあったことは、隠し覆われてしまっている。

日本が東南アジアの占領地域を帝国の一部であると主張したことなど、一度もない(日本の占領は、戦争中の一定期間の「防衛」手段、予防占領であったにすぎない)ということを知る人は皆無に等しくなっているが、そうでなかったとしたら、戦後独立を果たした東南アジア諸国のリーダーたちの言うことに整合性がもてないことになる。

お断りしておくが、先の大戦を正当化しようとしているのではない。
いろいろ読んでいると、いろんな事実関係が解ってくるということを申し上げている。
国の存亡を賭けて戦ったが、負けてしまったことは事実だし、結果的に良かったことだって沢山ある。
このところ、歴史問題に興味をもち、いろいろ読んでみたが、悪い悪いばかりではなく、世界の歴史に良いきっかけを与えたことだってあるのだということは、知り得てよかったと思う。


0 件のコメント:

コメントを投稿