2017年2月18日土曜日

マスコミは権力の監視が役目だというけれど

マスコミが言っていることに不信感をもってしまうことが多い。
何故なのだろうと考えてみた。

殻らは、権力の監視に意義があるのだという。それはそれで結構なのだが、反権力 イコール 反政権ではあるまい。
権力の監視だというなら、政権にとどまらず、国民にとって重大な影響を及ぼす財務省であったり、もっと大きなものとしてはマスコミそのものの権力構造なのではないのか?
自分たちは、選挙による洗礼を受けることはない立場だし、法の名のもとに罰則を科せられることはまずない。それであれば自浄作用がなくては叶わぬ筈であるにもかかわらず、報道の自由を盾に、何を言ったところで責任をとることが少な過ぎるのではなかろうか?
報道をすることについてもそうだが、報道することを隠すことも問題なのではないのか?

反政権ということを主張するのであれば、民主党政権に対して、何らかの反対表明をしたことがあったのだろうか?主張に齟齬を来していないか?
国民の判断で、彼らがいかに躍起になって擁護しようとしても、前政権は否定されたのではないのか?

マスコミは、多少左寄りでなくてはならないとする主張は、一定の理解をしても良いと思うが、
コメンテーターやキャスター、或いは解説者が出てきて、余りに偏ったことばかりを言うのには、多くの視聴者が違和感を覚えているのだということに気づいた方が良いと思う。
如何に自分の思惑通りに世論を導こうとしても、常識的な人たちが惑わされることはあるまい。
返って反感をかう。

国民の多くが、反権力=反政権ではあるまいと判断するようになってきている。
変なレッテル貼りをしたりして本質から目を逸らそうとしても、肌感覚で彼らを信用できなくなっている国民がおおくなっているから、ますます躍起になって、反対意見や反対デモを重点的に取り上げて正当性を主張したいのだろうけれど、ニュースソースはテレビ・新聞ばかりではない。
都合に合わせて適当なところだけを摘まんで放送しても、全体像を掴んで判断する人たちからは見透かされる。賢明な国民は多いのである。

事実を事実の通り伝えて、国民を幸せに導くためには、政治ばかりでなく、マスコミが負っている責任はおおきいのである。

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