2017年2月8日水曜日

忘れられない酷い話はあっても

日露平和条約というと、北方4島の返還だけが取り上げられる。
安倍総理は、難しい交渉に頑張ってくれていると思う。
確かに、国後・エトロフは、違法占領を受ける前にソビエト領だったことはない。
ただ、問題はそれだけではあるまい。

1945年(昭和20年)815日の終戦を稚内港で迎えた小笠原丸は、樺太所在の逓信局長から逓信省関係者の引揚げを要請され、817日に稚内を出航し大泊港へ向った。
樺太では815日以降も、日露不可侵条約を一方的に破ったソ連軍の侵攻が続いており、混乱状態にあった。
18日、殺到する引揚者のうち、残った若者(多くは凌辱されることを厭い、自決したという。)を除く老人・子供・女性約1500人を大泊から稚内に運んだ。
821日、稚内からの移動手段が限られていて、キップが確保できないこともあって、稚内で下船しなかった引揚者約600人、乗組員86名、警備隊員13名、の合計約700人を乗せ小樽港へ向けて出航したが、1945822日午前420分頃、増毛沖5海里にて国籍不明の潜水艦(ソ連側は認めていないが、ソビエト連邦のL-12またはL-19説が有力)に雷撃されて沈没した。のみならず、更に浮上した潜水艦の銃撃を受け、ほとんどの乗船者が船と共に海中に没し合計638名(乗組員57名、引揚者581名)が犠牲となった。生存者はわずか62名であった。
全て、民間人であり非戦闘員である。
かくも非道なことをしたのは、ソヴィエトのスターリンが、怒った日本が反撃するであろうことを狙い、反撃されたら、日本はまだ戦闘を続けているという理由付けをして、北海道を占領しようと目論んだのだとされる。

他にも、60万人にも及ぶ日本人を極寒のシベリアに強制連行して、強制労働に従事させ、この地で敢無く死んだ人も多い。
上記2件だけでも、明らかな国際法違反であり、これに全く触れないまま平和条約というのはありえない。
日本はK国のようにそれらを騒ぎ立て、この先の友好関係を阻害するようなことはしないだろうが、歴史の事実を明確に知らしめておくことは必要であろう。

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