2017年2月1日水曜日

作曲家とのコミュニケーション能力がないと

息子は、長い留学生活の中で優れた師匠に恵まれたこともあるが、自分の研鑽姿勢もあって身に着いたことも多い。
少年期から見てくれていたハリーナ教授は、ポーランドのご自宅でのレッスンも含め、長いご指導を頂いたが、気持ちの持っていき方、フレームの作り方・曲の歌い方に大きな影響をもたらしたと思う。拍の取り方はワイスハール教授で、ザルツに留学中にはウイーンまで毎週のように通ってご指導いただいた。
音楽理論は、プラッケ教授。プラハ国立音楽院では、ミハル・レゼック教授との研鑽が続いた。

子供の頃に師事した先生は、イヨルク・デームズ師で、ハイフィンガーで弾くことがないように厳しく指導され、ショパンが好きだとの気持ちを汲んでハリーナ先生につないでくれたことが、その後の音楽の道に進むきっかけとして大きい。
そのいずれの先生も講釈だけではなく、実際にご自分で弾き聞かせてくれたのだという。

留学中の15年間、ヨーロッパの民謡や民族舞踊の催しには顔を出し、地元の人たちとも親しく付き合ったから、ポロネーズだとかマズルカなどのテンポとかリズムや拍・底に流れる情感というのも身に染み付いたらしい。
テンポと拍が身に沁みつかないと、良い演奏はできない。
すぐれた演奏というのは、偉大な作曲家との楽譜を通したコミュニケーション力がなくてはできないのだと彼は言う。だから自分は弾けても、それを教えることができないというのは、コミュニケーション力がまだ届いていないのだともいう。
ライフワークにしている小中学生のためのレクチャーコンサートに出かけると、「先生のように上手にピアノが弾けるようになるには、どうしたら良いですか?」という質問を受けることが多いという。
「最初のうちは、自分が好きだと思える先生に着いて習いなさい。」と答えるのだという。
ありあまる才能を、先生との相性が悪くて潰えさせてしまった例を沢山見てきたからだという。
あるレベルまで行かないと解らないことはあるにしても、そこに至る前に止めたくなってしまうのは惜しい。続けられるかどうかは、先生に負うところが大きい。できれば基礎の段階から、よい先生に巡り合えることの方が良いに決まっているが、その機会は少ない。運もある。
感性豊かな子供は大事である。

私は、クラシック音楽にはずぶの素人であるが、曲というのは何百回も聴いていれば、自然に良い演奏なのかどうかは判ってくる。
名の知られたピアノの演奏者のそれであっても、変なのは変だと感じるようになる。
すなわち、名前で聴いてはいないということに結果としてはなっている。
良いお音楽というのは正直で、理屈抜きで良いものは心に浸みてくる。
有り難いことに、練習とはいえ、毎日がコンサートのように多くの曲を聴ける生活を楽しませてもらっている。


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