2017年2月20日月曜日

同化吸収能力

兎に角何でも、物を比べてしか見られない人というのがいる。
より良いものを選びたいためであったり、優れたものに近づくためにそうするのなら解らなくはない。
しかし、大抵は優れたものを褒める為ではなく、過度の競争心から、比較対象を貶めるためのことが多い。
それしかできない国もある。

そういう人たちは、自分は正義の味方だとでもいうように、日本は駄目だ、日本は駄目だと口にし、それをまわりで、あたかも知識人であるかのように持て囃す人もいるから始末が悪い。
どこをどうすればバランスが取れて良くなる、などとは決して言わない。
根底にあるのは、思惑がらみの反日だから、本音を出したら最後、排除されるであろうとは肌感覚的に知っている。

根拠があって言うならまだしも、捏造に近いようなことを理由に挙げて、自分に都合の良い主張をすることすらあるが、間違いを指摘されると、相手の言葉を遮って一方的に喋りまくるか、論点を変えて言い逃れに走る。
それらのウソがバレて論破されるような場所からは、次からは逃げて出てこない人もいる。

戦後まもなくは、1億総懺悔の時代であったから、何を言われても日本が悪いということになっていたのだろうが、事実に基づかない誹謗や批難は、一体誰の為にしているのか?との素朴な疑問をもつようになるのは極めて自然ななりゆきであろう。

ことの善悪は別にして、、事実関係はどうだったのかと調べる人が増えてきたから、根拠なしに言うことには齟齬を来す場面も見られるようになった。
日本の国はある意味で平和なのだと思う。外国人ですら、日本で政治的な反日活動をしても、滅多に強制帰国させられることはない。安寧の為にいいかどうかは判らないが・・・

欧米知識人が日本についてとても敵わないとしている能力があるのだという。
それは、「同化吸収能力」なのだという。
新しい文物が齎されたときの反応というのは、洋の東西を問わず、一つは拒否反応を起こして全く受け入れない、もう一つは事大主義よろしくそれに染まり切る。
ところが日本の場合だと、如何に優れたものであっても、今まで日本に在ったものと自然に調和させてしまい、より優れたものへとしてしまう。
逆に、日本のものが海外に渡ったときはどうなるのかというと、最初は拒否反応を起こすのだというが、気がついてみると、無くてはならないものとして、いつのまにか浸透してしまうのだという。較べてみなくても、優れたものというのはそういうものだと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿