2017年9月13日水曜日

阿修羅像を見て

国宝阿修羅像は、何故にあのように悲し気な顔をしているのだろうか?
それでいて、何ともいえない惹き込まれるような深い表情をしている。
あの華奢とさえいえる細い体をして、圧倒的強さを誇る神であったとは・・・
ウィキペディアによると、阿修羅は帝釈天に歯向かった悪鬼神と一般的に認識されているが、阿修羅はもともと天界の神であった。
阿修羅が天界から追われて修羅界を形成したのには次のような逸話がある。
そもそもは、阿修羅は正義を司る神といわれ、帝釈天は力を司る神といわれる。
阿修羅の一族は、帝釈天が主である「忉利天(とうりてん、三十三天ともいう)」に住んでいた。また阿修羅には「舎脂」という娘がおり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていた。
しかし、その帝釈天は舎脂を力ずくで奪った(誘拐して凌辱したともいわれる)。
それを怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑むことになった。
帝釈天は配下の四天王などや三十三天の軍勢も遣わせて応戦した。戦いは常に帝釈天側が優勢であったが、ある時、阿修羅の軍が優勢となり、帝釈天が後退していたところへの行列にさしかかり、蟻を踏み殺してしまわないようにという帝釈天の慈悲心から軍を止めた。
それを見た阿修羅は驚いて、帝釈天の計略があるかもしれないという疑念を抱き、撤退したという。
一説では、この話が天部で広まって阿修羅が追われることになったといわれる。
また一説では、阿修羅は正義ではあるが、舎脂が帝釈天の正式な夫人となっていたのに、戦いを挑むうちに赦す心を失ってしまった。つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる。このことから仏教では天界を追われ人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれる。
古代インドでは生命生気の善神であったが、帝釈天の台頭に伴いヒンドゥ教で悪者としてのイメージが定着し、地位を格下げされたと考えられている。
帝釈天とよく戦闘した神である。名称も、本来サンスクリットの asu(息、命)に由来するが、悪者とみなされるようになってからは、「a」が否定の接頭語と解釈され、非天、非類などと訳された。
仏教に取り込まれた際には仏法の守護者として八部衆に入れられた。
なお五趣説では認めないが、六道説では、常に闘う心を持ち、その精神的な境涯・状態の者が住む世界、あるいはその精神境涯とされる。
ただし、六道説であっても「法華経」では阿修羅(アスラ)の扱いは全く異なる。「法華経」では阿修羅は基本悪として書かれることは圧倒的に少なく、基本的には三善道の1つもしくは八部衆の1つとして描かれており善趣の存在である。
興福寺宝物殿の解説では、「阿修羅」はインドヒンドゥーの『太陽神』もしくは『火の神』と表記している。 帝釈天と戦争をするが、常に負ける存在。この戦いの場を修羅場(しゅらば)と呼ぶ。



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