2017年9月8日金曜日

道徳感のもとにあるもの

日本に限らず、諸外国を訪れる中国人観光客のマナーの悪さが問題視されるのは、残念なことである。
訪問先国に外貨をおとし、経済に貢献しても、国の評判を落としてしまうのでは何ともならない。
そもそも中国は、人間としての徳目、仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌を体系立てて唱えた国であった。
文献は沢山残っている筈であり、いずれは立ち返ることができるのではないかと信じたい。

それらを説く儒教は、隣国である朝鮮にも伝わったが、小中華を自任しても物真似に過ぎなかったのか、道徳・人倫などで民度を上げるまでには至らなかったらしい。
なんとなれば、法治というのは、基盤となる道徳観・人倫感が育っていなくては不可能であると思うからである。頑強に身に付いたのは浅薄な上下関係意識のみ。互いを対等とみて尊敬しあうという美徳は育たなかった。
自我を主張して憚らないし、国際条約は蔑ろにして恥じないし、時効の概念は理解できないらしいし、感情が先立てば法の解釈まで曲げて平気な人治国の面影さえ残っているように見える。

日本も、戦後は旧来からの道徳観を否定されたことから始まったが、「人として何を恥じるか。人として何を守らねばならないか。」ということは魂に刻まれていたことであったから、それらの徳目は自然に復活してきたのだと思う。
民度というものはそういうものである。

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