2017年9月3日日曜日

国内では解決済みのことなのではないのか?

目先の現実迎合主義というか思惑含みのポピュリズムというか或いは何らかの感情を煽っているとしか思えない主張をすることに拘っている人というのは多い。
他国が何か言ってくると、なんでも聞くべきだというのはおかしくないか?

現憲法を護れと言いながら、その憲法の下にある手続きを踏んで決まったことを無視したり、韓国中国に阿るためか、法解釈を曲げてでも宣伝に努める為には大声を上げるから、それに惑わされている国民も出てくる。

例えば靖国問題である。
日本はサンフランシスコ条約を受け入れたのだから、それは罷りならぬという。
一般国民は「そうなんだ~。」ということで大して考えもしないでそれを受け入れる。
法の概念として考えられない事後法による「A級戦犯」を「永久戦犯」だと勘違いしている人も未だに多い。

とくにこの条約の第11条は誤解されている、というより誤解させようとしている反日の輩というのがやたらと多い。
旧連合国の反日勢力や支那共産党と連携した左翼リベラル勢力は、日本が東京裁判史観を受け入れることによって国際社会に復帰できたのだ、などと主張して憚らない。
しかし、日本は東京裁判を受諾したのではない。
そもそも東京裁判は首席検事キーナンも言っているように、日本国や日本人全体を告発したものではない。裁判で告発されるのは個人だけなのである。
しかも日本が受諾したのは戦犯個人個人に与えられた諸判決(judgements)の刑期の継続で、それを実行する(carry out)ことを約束したのである。そのことを受け入れたのである。
日本が裁判自体を実行することはできないから、諸判決を受諾したと訳さなければ意味が通らない。当時の外務省は、「諸判決」を「裁判」と誤訳してしまった。
Judgments即ち判決を受け入れたというだけである。

25条には「この条約は、ここに定義された連合国の一国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原(ある行為を正当化する法的根拠)、または利益も与えるものではない」と規定している。支那共産党が支配した中華人民共和国はこの条約に調印してもいなければ「連合国」でもない。つまり裁判被告に関しなんらかの主張をする権利を有していない。

ソ連がこの条約に参加しなかったのはすでに冷戦が始まっていたからで、社会主義国はアメリカを中心とする西側と戦う構えを見せていた。
この状態で、日本が軍事力を持つことは、東側、スターリンにとっては不利となる。そのため、スターリンは配下の日本の左翼に「日本国憲法を盾に日本の防衛力強化を阻止せよ」と指令を出した。その指令に宮本顕治や土井たか子は忠実に従ったわけだ。
左翼と言われる連中はスターリンの指令に従っているのだ、と堂々と主張すればいいのだが、そんなことをすれば反発を招くだけだから、それを隠して「平和憲法を守ろう」「平和は尊い」「世界に誇る日本の平和憲法」などということにすり替えヒステリックに騒いだということである。
そのこと自体に異を唱える人はいなかったし、それが今も後を引いている。

しかし、講和条約が成立し主権が回復すれば、国内法が優先されることになるのは世界の常識である。
現代法には時効というものもあるし、刑の執行が終われば以後の権利は回復されるのがあってこそ、法的安定性は担保される。

1952428日のサンフランシスコ平和条約発効直後の51日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事となり、戦犯とされた人々のために数度にわたる国会決議もなされた。
ゆえに「国内法」という意味であれば、我が国にはA級戦犯は存在しない。
日本人がいつまでもA級戦犯を口にするのは、おかしなことということになる。

195269日「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、1952129日「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」、そして195383日、「戦犯」とされた者を赦免し、名誉を回復させる「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が社会党を含めて圧倒的多数で可決された。
この議決は前年(1952年)に、戦犯とされた者を即時に釈放すべしという国民運動が発生し、
4千万人の日本国民の署名が集まった事に起因する。
そして「恩給改正法」では受刑者本人の恩給支給期間に拘禁期間を通算すると規定され、1955年には「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がされた。
そうしてサンフランシスコ講和条約第11条の手続きにもとづき関係11か国の同意を得たうえで減刑による出所が順次、行われることになる。
なお、日本政府はこの法について、刑の執行からの解放を意味すると解し、いわゆるA級戦争犯罪人として極東国際軍事裁判所において有罪判決を受けた者のうち「赦免」された者はいないが、減刑された者は10名(いずれも終身禁錮の判決を受けた者である。)であり、いずれも昭和3347日付けで、同日までにそれぞれ服役した期間を刑期とする刑に減刑されたものとし、この法律に基づく「赦免」及び「刑の軽減」が判決の効力に及ぼす影響について定めた法令等は存在しないという見解を示している。
これが「公式見解」であり、法治国家としての紛れもない事実である。
先人たちが法の名の下に議決したことを否定する根拠がどこにあるというのか?
歴史事実を謙虚に受け止めて、不戦の誓いをすることとは違う話である。

靖国神社に参拝することに反対しているのは、いま中国と韓国のみである。政治カードとして有効だからそうしているのだということは、時系列を辿れば明白である。
日本国はその両国の利益の為に存在しているわけではない。

日本の左翼も、「天皇の名の下に将兵は死んだのだ。」と叫ぶのであれば、「天皇陛下が真っ先に参拝してその霊を慰めるべきだ。」と唱えるのでなければ、彼らの主張に誤謬を生じる。

靖国神社に参拝することが戦争に結びつくなんてことは絶対といっても過言でないくらい無い。
霊となったものは祀るというのが、日本の古来からの文化であり美徳である。日本人であればそうする。
もう静かにしても良いのではないのかと思えてならない。


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