2017年9月4日月曜日

本当に信頼して組んで戦えるか?

北朝鮮が暴発したとした時、隣国は本当に信頼できるのだろうか?
彼らは「歴史を直視しろ!」と口を開けば声高に叫ぶから、朝鮮戦争時のことを少し調べてみた。
彼の国は、何とも不思議な国民性を持っているのだというのが、偽らざる感想である。

韓国が何とか持ちこたえることができたのは、「白善燁」「金錫源」という将軍あってのことだと解る。
しかし、その両将軍は日本軍に在籍していたことがあることをもって、功績は貶められ、国賊扱いされているのだという。

朝鮮戦争は、ソ連製の戦車を先頭にした北朝鮮が38度線を越えて突然襲い掛かったことに始まる。
李承晩大統領は国民を捨てて真っ先に逃げ出し、釜山まで追い詰められて恥知らずにも日本への亡命を画策したと言われている。
韓国軍の将兵は敵の姿を見ただけで、戦いもせず逃げ出し、米軍も呆れ果てていたのだという。

そこで決然と立ったのが前記の2将軍であった。
「白善燁」は、日本軍の出身です。
昭和14(1939)年平壌師範学校を卒業した後、奉天の満州軍官学校に入学、昭和16(1941)年に卒業して満州国軍に任官し、昭和18(1943)年には間島特設隊に配属され戦った経歴を持ちます。

韓国軍が逃げまどっていたとき、彼はマラリアを患い入院中であったという。
しかし釜山の危機を知った白師団長は高熱を押して前線に駆けつけ、日本軍として戦った経験を持つことで編成された守備隊の兵士たちに「二日間,補給もないのによく頑張ってくれた。感謝の言葉もない」とねぎらいの言葉をかけると、「ここが破れればわれわれには死が待っている。それにすぐ近くには、アメリカ人もわれわれを信じて戦いに来ている。かれらを見捨てることができるか!」と語り掛け、突然立ち上がると、大声で兵士たちに言った。
「只今より、あの四八八高地を奪回する!我に続け! もし俺が臆病風に吹かれでもしたら後ろから俺を撃て!」と叫ぶや銃をとり、先頭にたって突撃を敢行した。
「師団長に続け~~!」
鬼人と化した元日本軍の韓国兵は、わずか一時間で四八八高地を奪還した。
そこから谷底の北朝鮮軍に向かって猛烈な砲火をあびせ、そこにいた北朝鮮軍は完全に潰走させてしまった。
前線の北朝鮮軍が無力化されたことで、米軍はその退路を断つ作戦を発動し、仁川に上陸すると、南進していた北朝鮮軍の補給路を完全に断ち、928日には、ソウル奪回を果たした。

李承晩は、日本軍に在籍していた兵のみの部隊編成を頑なに拒んでいたという。
しかし、韓国兵は戦わずして逃げるし、釜山が陥落すれば、もはや朝鮮半島は完全に北朝鮮に支配され、己の命もなくなることは、この時点で十分承知していた。
この段階に至って、ようやく李承晩は、金錫源の言を入れ、元日本軍兵士たちだけでの師団を編成することを認めた。
軍は指揮官によって動く。金錫源は、飛び交う銃弾の中、日本刀を振りかざして陣頭に立った。
「孤軍」の状態で、金錫源たち旧日本兵師団は戦い続けた。
金錫源将軍の師団は、岬を回って潰走します。北の戦車部隊はそれを追って責め立てる。
しかし、それは金錫源将軍が米軍と連絡を取った作戦であった。
朝鮮軍は信用しなかったが、日本軍として戦ったことのある将軍は信じた。
北の戦車隊が岬を回り込んだとき、そこに忽然と米軍の大艦隊が出現した。
ソ連製の戦車は、装甲が厚く、銃や迫撃砲、バズーカ砲などでは歯がたたなかったが、戦艦から撃ち出される対戦艦用の大型砲門は強烈であった。戦車の巨体よりもさらに大きい、米艦隊の砲弾が、雨あられと北の戦車部隊に降り注いだのです。
要するに日本の信用で、米艦隊が動いた。ということになる。

結果的に、この両将軍の決死の戦いがあって国が救われたのではないのか?
日本となるとヘンな感情にとらわれて、冷静な判断も公正な評価も消し飛ばしてしまう国民性は、よそ事とばかりも言っていられないが、どう考えても理解しがたい。

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