2017年10月12日木曜日

開戦の詔勅というのを殆どの人が知らないが

戦争というものを肯定する気は全くない。それは絶対に避けなければならないから、そのための備えはしなくてはならない。
そして、やむなく戦うということになったら、絶対に負けてはならないのだと思っている。

何をするか全く想像もできない常識外の国が有り、こちらにその気がなくても襲い掛かってくる可能性は現実味を帯びている。
経済封鎖され破れかぶれになれば、自分の悪行は棚に上げ逆恨みを高じさせて、道連れを狙った共倒れを選びかねないことは容易に推定できる。
正しい歴史認識が有れば、世界で唯一朝鮮民族の発展に尽くした国だったと解る筈だし、信じて話し合いに応ずれば、発展して豊かな国を目指せるものを、疑い深く恨み事でしか物事を考えられない民族性では、なんともならない。

どう考えても、日本は半島の近代化に力の限りの勢力を注いだのだと思っている。確かに朝鮮民族のことだけを考えてのことではなく、日本の安全保障上の政策ではあった。
しかし、併合というのは植民地化というのではなく、同じ日本人として歩もうとしたのである。
植民地なのだとしたら、主権を与えることも教育を施すことなど一切なく、欧米列強がしたように所得の吸い上げのシステムを徹底して築くというのが常道であるが、それとは全く逆であった。

戦後棚ぼた式に独立できて、政権の正統性を何としても主張したいがために、反日でまとまろうとしてやってきたことではあろうが、如何に捏造教育をしてみたところで、事実は変えようがあるまい。
洗脳された半島人と、反日左翼の宣伝で騙されているお人好しの日本人以外、そんな歴史を信じている人は世界にいない。
特に、特亜3国以外のアジア諸国の要人たちの多くは、日本があったからこそ独立できたとコメントしている。

先の大東亜戦争に関連して、その前後のことを良い悪いという観点からではなく、素直に事実だけを知ろうとしていろいろ読むことが有る。
後世の人間が、当時の状況を理解することもなく、しかも曲げて伝えられていることだけを根拠に、好き勝手に論評することは簡単だが、それが正しいかどうかということは別問題であろう。
今の価値観で言うとなれば、良いことも悪い事もあったと思うが、五族共和の理想を目指したことには疑いを差しはさめない。
特亜3国以外のアジア諸国は、それを理解しているからだと思う。

大東亜戦争は、米国がただ単に経済上の利権と損得を考えたのとは違い、日本にとって安全保障上の戦争だったとマッカーサーでさえ後に述べている。
愛する者、守らねばならないものがあって、黙して滅びる道を選ぶわけにもいかず、お国の為と言って戦い、そして死んでいった人を、犬死などと言って貶める左翼の考え方には与したくない。
なぜなら、私は人間だからである。

乾坤一擲、国の存亡をかけて戦い、それに敗れたのであるから、国が失くなり植民地化されても、どこかの国の属国となっていてもおかしくなかった状況を、曲がりなりにも免れ得て現在が有るのは、偏に日本を理解して庇ってくれたアジア諸国の指導者と、命がけで戦った先人たちのお陰であったと信じている。
全て日本が悪いとすることだけで過ごしては、申し訳が立たない。
今更どうすることはできないとしても、知るべきことを知っているくらいの責任はあるのだと思っている。

終戦の詔勅はよく流されるから知ってはいても、開戦の詔勅を知っている人は殆どいない。

今ヤ不幸ニシテ米英両國ト釁端ヲ開クニ至ル
洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ
(今や、不幸にして、米英両国と争いを 開始するにいたった。まことに やむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。)

縷々書かれていることを素直に読めば、平和を望んでいるのであり、戦争は苦渋の決断であった。

敗戦により事後法で裁かれることになっても受け入れざるを得なかったし、明らかにハーグ条約違反の原爆投下、東京大空襲、飢餓作戦を狙った民間船目当ての大量の機雷敷設も、取り上げられることはない。敗けてしまえばそんなものである。
日本近海に大量にばら撒かれた機雷の掃海は、東京裁判がなされている最中に、日本人によって
なされた。当然のこと触雷による殉職者が多数出たが、ハーグ条約上のことは敗戦国側が表沙汰にはできず、戦死扱いにも戦没者扱いにもできず伏せられ、靖国神社に祀られることもなかったという。
戦後の復興のために払われた犠牲者の命に感謝すらできないということでいいのか?

ルバング島から生還した小野田少尉は、その慰労金の全額を靖国神社に奉納したというが、それすらも一部マスコミは批難したという。
彼は、時の総理が靖国神社にさんぱいすての慰霊の中で「心ならずも・・・」と語ったことにも、「なぜ、単に素直に有難う」と言わなかったのかと残念がったという。
彼が信じた日本の有様に、結局はブラジル移住を決断した心情を推し量って余りあるもがある。

再び戦争の惨禍を招いてはならないのは当然としても、先人たちの心情を思い遣ることもせず、全否定してしまって良いとは思えない。
侵略することもされることもない力を備えた国にしなければならない。
それが戦争を避けることのできる唯一の方法なのだと思う。

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