日本が正しかったと言う心算は毛頭ないが、当時のことを知るにつれ、いろいろ感じてしまうことはどうしても出てくる。
戦後に教わったのは、全て日本が悪かったのだということであり、総懺悔しなくてはならないのだということで染まっていた。
いまになると、日本は外交が下手だったから戦争になったのだ、という人もいる。
帝国主義が主流であった時代であり、他国を植民地にすることに列強が罪悪感なぞもたなかった頃のことなのである。
植民地を持っている国々と手を組んで、そちら側の考えに与することを選択すれば、折り合いをつけられなかったことはないかも知れないが、それを良しとするには日本人の感覚が馴染まなかった。
白人である列強諸国は、有色人種である日本人が力をつけてくることに我慢がならなかった。
しかも人種差別撤廃などということを国際社会で提言する。
アジア・アフリカ諸国に長年月にわたり染み付いていた白人を半神のように考え、戦っても絶対に勝てないと諦めていた時代に、唯一白人と戦って勝利を収めていた国なのである。
目障りなことこの上なかったであろう。
一部の極悪な軍人が日本を戦争に駆り立てたのだという説もまことしやかに教えられた。
果たして本当にそうなのだろうか?
軍人というのは常に彼我の戦力差を研究している。戦って勝てるなどと信じていた軍人は少なかったのではなかろうか。
しかし、ABCDラインを敷かれ経済封鎖された状況をそのままにして、石油その他の資源が枯渇すれば、戦わずして滅びる。即ち植民地化されてしまうという時代であった。
そのことを抜きにして論ぜられない。
植民地が如何に悲惨なことかということは、知識人たちは非常によく理解していた。
誇り高い日本民族がそれに耐えられるとは思わなかったに違いない。
積極的かどうかは別にして、国民の多くが戦うことやむなしとしたのではなかったのか?
もとより、戦争を反対する人もまた多かったとは思うが、敵わぬまでも一矢報いる。座して死を待つより、死して名を残すという考え方をする民族の選択であったのだとも思う。
とやかく言ってどうなることではないことは承知しているが、全否定することでは救いがないし、物事を認識するということからはずれる。無謀であったといって片付けられることでもない。
想像以上にハーグ条約を守って戦っている。
北朝鮮を見ていると、なにかその開戦当時の日本を彷彿させられることがなくもないが、絶対的にそれとは違うことがある。
現代の世界においては、植民地化されるなどということは絶対ない。
戦争をしなくても、協調して平和裏に発展することができるのだから。
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