2017年10月4日水曜日

国のことを考えなければ政党は消える

人には誰にでもその生まれ持った役割というものが有るらしい。
日本には世界の諸国と違って、職業に貴賤はないとされていて、如何に身分が高い人であっても額に汗する力仕事をしたり、汚れ仕事をしても異とは見なかった。
しかし、それでも自分の境遇を素直に受け入れることは納得できないことはある。
そのことで努力を重ねてそこから抜け出そうとすることは、志が高ければやった方が良いと思う。
ただ、それが他人と比べての不満から出ているのであれば、よく考えてみた方が良い。
自分に備わった特性や役割や資質というものがあるからである。

自分の天性がどこにあるのかに気づくのはかなり難しいし、仮にそれが判ったとしてもそれを受け入れてそれを全うしようという覚悟に至るのは更に難しい。

適性というのは、職人や芸術や武道・スポーツの分野であればかなり解りやすい。
他に優れて圧倒的な技量を身に着けることができるし、世に認められもする。
そこから、自分が極めたものを他に教える能力があるかどうかということになると、それはまた別の才能ということになる。
教える才能を持つ者を教師として集め、学校を作ってその組織を経営するということになると、これもまた別な能力ということになる。

ことほどさように、全ての分野においてそれらの才能や能力を発揮できるかどうかは、向き不向きということが関係してくるのだと思う。
いちいち他人と比べるから、自分を見つめてその持ち分を理解し、その分野で励もうとする美徳を失ってしまったのではないのか。

選挙が近づいて、「安倍政治を倒す」というのをスローガンに掲げているのをよく耳にする。
それはそれで反対しないが、何で政権を倒そうと思うのかの理由が解らない。
別段安倍さんを贔屓するわけではないからどうでも良いのかも知れないが、倒した後に何をしようというのだろう?何をしたいのかを明確にしないで、やたらにそれを言うだけでは無責任の誹りを免れまい。

そもそもが、日本国は国と国民が一緒になって国を守っていきましょうという意識が根底にあって成り立ってきた国である。自然災害に対処するために自然にそれが培われてきた長い歴史からもそうなってきた。
対立を煽るようなことをしていてどうなるというのか?

「破るるは新なり」という言葉が有る。
新しいものを作るには、いったん全部壊すということは有り得る。
壊すということについての才能をもった「壊し屋」と言われる人がいる。
但し、壊してそれで終わりだというのでは困る。新しくもっと優れたものを作り上げる才能を持った人とセットでなければ混乱だけが残ることになる。

後先見ずにものごとをやるのを才能とは呼ばないし、そんな人の尻馬に乗って動くわけには行かない。虎の背中に乗ることはあっても、人の口車に乗るわけには行くまい。
自分の持ち分を守りながら全体の判断もしなくてはならないから、バランスを見極め、過たないようにしたいと思っている。
責任を負うのは自分なのだから・・・

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