2017年10月27日金曜日

外国では子供たちが教室のお掃除をしないのだろうか?

少し前のことになるが、日本を訪問したアルゼンチンのマクリ大統領が帰国後に感想を述べているのだという。
「日本が大国になったのは当然なのだ。」と。

来日中に日本の学校を訪問したときに、それを感じたらしい。
子供たちがごく当たり前に清掃をしたり、給食時に生徒が仕事を分担しているのを見て、そういうところから助け合いや協調の意識が育っている。
日本には、基本的に規律やマナーが備わっていることは以前から知っていたが、働くということを尊ぶ姿にも国民性を感じ、発展できる国というのには理由があるのだと痛感したと言うのである。

アルゼンチンで、もしも生徒に清掃でもさせようものなら、児童虐待だの人権侵害だのと大騒ぎになってしまうらしいが、日本では昔からそんなことにはならない。

職人が一定の評価を受けて尊敬される国というのは、世界でどこも発展している。労働が卑しいものではないと考えられない国ではそうはならない。
昔から、殿様だって家老だって、工事現場に出て汗を流したことは珍しくもなんともない。
お公家さんがどうだったか知らないが、天皇陛下だって田植えをなさるし、皇后陛下だって桑を摘んでお蚕様を飼うことを見れば、それが民度の根底にある考え方なのだと思う。

偉い人は転んでも自分で起き上がることすらしなかったり、自分の脚で歩くこともしないで、どこに行くのも輿に乗るのを当たり前だとしていた国とは、発展の仕方が違って当然ということになる。
自らが働くということは、とりもなおさず他者への思いやりの気持ちが育つし、尊敬しあい感謝しあうことができる社会を築き上げることができる。

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