2018年8月26日日曜日

技が上達するだけで終わりではない

我が国における稽古事というのには、後ろに「道」という字が付くことが多い。
武道であったり芸道ということであったりするが、技量の上達だけを求めるのではなく精神面の向上ということに結びつき、極めると、スピリチュアル的には宗教ともいえるところに到達する。
武道などは、そもそもが人を殺傷するための業である筈が、それに止まるだけの技は卑しいとさえいわれる。学ぶにはまず作法から始まり、人を活かすということにいつの間にやら目的が替わってしまうのである。

最初は師匠について学ぶのであるが、基本的には「何故ですかと聞かない。」「同じようにやりなさい。」ということを言われて始まる。
教えられるからできるようになるのではなく、自らが理解できなければならないこととして、細かなことはいちいち教えないというのが普通であり、「力を抜くこと」と「呼吸の仕方」、少し進むと意識しないで動くということを見につけさせられる。

意識しない・力を抜く、ということになると、それでは一体誰がその業を為していることになるかという疑問に突き当たる。
しかし、正しい体の使い方をしていると、「それ」というしか言いようのないものが降りてきて、自分ではなく「それ」が無意識の中で働くようになるのだという。
「それ」というものが体得できたとき免許皆伝ということになり、師は弟子に独立することを促すのだという。

西洋にも騎士道と呼ばれるものはあるが、それはマナーであって、日本における「道」とは根本的なものが違うのだという。

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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、2018年7月2日、第12部まで書き終えました。一応の区切りとしたい。

童話 「トイレの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」・「花を摘んでいた少女」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。
http://www.kng2321-cbs.com/douwa.html

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