中華の西域を胡と呼び、胡の瓜だから胡瓜(きゅうり)と言ったというのは何かで前に触れました。
今回は、胡の桃と書くクルミ。
しかしこの桃、孫悟空が天界を荒らしたときに食べたという長寿の桃や、おばあさんが川へ洗濯に行ったときドンブラコと流れてきたのを拾い上げたという桃のように果肉を食べるのではありません。
梅でいうところの天神さま、核をたべます。
どうしてこれが桃なのか納得しがたいのですが、旨いことにはnut食うしているのであります。
迷信なのかどうか
先人の生活の智恵ともいうべきことがらを、科学的な説明がないからといって迷信ときめつけてしまってよいのかどうか。
例えば、庭や屋敷内に植えてはならないとされる木があります。
敢えて名前はあげませんが・・・
その木は湿気を呼ぶものであったり、大量の落ち葉が屋根に積もってしまう種類のものであったりします。
湿気は家人の病気を呼ぶ原因となろうし、落ち葉は屋根を傷める元となります。これこれだからとの前置きをすればよいものを、昔の人はそんな説明をしていません。
四神相応の地というのがあります。神社仏閣や城などは、建てるときそういう場所を選びました。
北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に白虎というのだが、「そんなことをいったって。」となんのことだかわからないから拒否反応をおこすのが最近の若者。
北が小高い丘や山で、南が開けた平や湖ということになれば、日当たりが良くて水はけも良いにきまっている。西に広いみちがあって東に川があれば、住むためにこんなよいところはない。
だからそういうところに建てた昔の建物は、今も尚しっかり残っているということになります。
水浸しになって酷い目に会うようなところは、最初から避けたということになるのです。
それと別にも、何だかわからないけれど人智を超えて働く偉大な力があることを、誰もが感じているに違いないのだけれど、気づかないふりをしたり無視していたりするが、畏まって謙虚になることができるのも人間の美徳のひとつであると思うのです。
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