2012年12月6日木曜日

誰にでも有る、自分の内なる神霊スポット


人間には、「真我」というのか「潜在意識」というのか、或いは他のことばがあるのか判らないけれど、「神」としか言いようのない領域があるように思えます。

そこに繋がることができれば、どんなことでも可能になるエネルギー体ともいえる所。

 

 人間は、そもそもが神様の分身なのであるから、常に護られている筈の存在なのであるが、自分が何者なのであるかということに意識を向けたことが殆どないため、本来持っている能力に気づくことがない。非常に勿体ないことなのだと思います。

 

 全ての物事は、必ず原因があって結果があるとしたら、それが今生のものなのか前世のものかわからないけれど、誤った想念が原因となって、今、苦悩という形で目の前に結果として現れているというほかない。因果律でいえば、そうなる。

 

 ただ、顕れれば必ず消えるものであるというのも真理であるから、この苦悩は表れたことにより消え去るのだという強い信念を持ち、そのように行動すればよいのだが、気持ちがそんなに強くもない生身の人間としては、その苦悩を改めてまた抱え込んでしまい、新たな原因としてしまうことの方が多い。

 抱え込まないで、それは顕れたから消え去り、今からよくなるのだという善念に変えることができるためには、そう口に出して宣言してみるのがよい。

 

 神霊の領域は、だれもが自分の内にあると気づくのには、なんらかの形で偉大なるものにシンクロすることが必要なのかも知れない。

 神様は外に居て、自分の中にいるという認識がなかなか持てないからです。

 自分に何の能力もないのだとしたら、何も感じないし理解もできないということになるから、誰にでも内なる心霊スポットがあるのだとした方が分かりやすい。

 

 シンクロするためのきっかけとなるものとして、神社仏閣に詣でたり、先祖の墓参りをしたり、“墓石クリーニング”をしたりがある。

 これも、ただお願いして終わりということではなく、どんな小さなことであっても「感じる」ということがあるので、それを大切にしなくてはならない。

 

 それとは別であるが、極端な困難に遭遇したとき、人は神の領域としかいいようがない精神性を、たくまずして顕現することがあることをみても、それは人の身の内に本来在るのだと信じることで、ものの見方も変わってくる。

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