2012年12月8日土曜日

気づきというツキ


 心に不安や恐れ、悲しみや悩みが生じたり、実際に病気や事故などのトラブルが起ったとき、「これでよかったんだ。これで原因を消すことができるんだ。」と、宗教をやる人がよく言います。


 そう言っていながら、そういう本人がとらわれたままの姿を変えることができずにいるので、それを見ている人は、宗教というももを胡散臭く思ってしまいます。


 「それでよかった。」なんて思うことはなかなかできませんが、プラス方向に受け取ることができるようになることが必要だというのもよく言われます。
 なぜなら、それらは成功やツキのための宝庫である潜在意識が、その人に気づきを与えるための試練としてそういう事象を現しているのであるから、顕れれば必ず消すことができるのであるということに他ならず、有難うと感謝すればツキが巡ってくるというのです。

そうはいっても、凡人はなかなかそうはいきません。


 そう思えるようになるための入り口というのがどこにあるのか、ということになるのですが、身の回りを綺麗にしていないと見つけられないのだと昔の人はいいます。


 ご先祖様が教えてくれているのだという人もいますが、実際にどうやって教わるのかと聞くと、「感謝の気持ちを現そうと思ったときどうするのか。」と考えて見れば、誰だって良くわかっていることなのだと言われます。


 それは、社会生活のどんな場所にいても同じだということなのですが、なかなか難しい。
できることから一つずつでも、先ずやってみると早いらしい。

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