神社仏閣に初詣をする時期が近づきました。
仏閣に詣でると、仏像が安置されていて、皆それぞれ願い事の筋によって拝観することになります。
仏像が表しているのは、なんなのでしょう。
日本語のように玄妙なニュアンスを表すのに優れた言語をもってしても、その仏像が伝えんとする真理を、言葉だけで表現するのは難しいのだと思われます。
想像し、理解するのには、形があるものを介しての方が易しい。
そこを縁(よすが)にして、意識を膨らませ、真理に至るようにさせようとしたのが、仏師に制作を依頼した高僧たちの真意であった筈だと思うのです。
ですから、仏像そのものを拝むのではないのだと思っています。
そもそも人間は、宇宙の一部であり、しかもまた宇宙そのものなのでもありましょう。
しからば、気づかないでいるだけで、神そのものを自分の内なる世界に全て包含していることになります。
自分がそのレベルに至っていなければ、そこにシンクロすることは難しい。
次の機会をまつことにし、手を合わせただけで帰ってくることが、私には多いのです。
でも、浮かべている表情や、結んでいる印、全体から伝わる雰囲気が、有難いなあと感じることもまた多いのです。
小さくても、一歩一歩進んでいけているように思えます。
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