中学校の同級会を、「古希の会」となる節目でもあり、今年は同級会を郷里の飯田ではなくて東京でやることになった。
卒業以来半世紀余となるが、初めての参加者も加え総勢で21人集まった。
こういう会は、いくつかの条件が整わないと参加できない。
自分も家族も健康であり、経済的にも余裕があり、殊に女性は家を留守にすることに家族の理解があり、などなど。ありがたいことである。
禿たり白くなったり太ったりと外見は凄まじく変わったが、面差しは残っていて、すぐに打ち解け和やかになった。
この年になるまで、お互いの積んだ経験は豊富だから、話題は楽しいものばかりであった。
住所録の中に、読めない漢字があった。偏がサンズイで旁が秋。これを長久手と読むのだという。長久手の戦いがあった近くの地名である。
何歳になっても、学ぶことは多い。
次は、喜寿の会で集まろう!という中で、楽しいから「来年もやろうじゃないか。」という声が多かったから、多分来年もどっかでやることになる。
人が集まれば、必ずそこに学びや気づきがある。
誰にも等しく提供されているのに、気づくことができる人、更にはそれを発展させて役立てることができる人。
この違いはどこからでてくる感性なのだろうか。無駄なことは一つもないといわれて育ってきたが、そういうものかも知れない。
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