2016年8月1日月曜日

聞く耳を持っているって?

世にジャーナリストを名乗る人というのは多い。
彼らはそれなりに地歩を固め、いろんな場面でコメントをしたり、TV番組などでもてはやされていることも多々ある。
情報を集めたり取材をしたりで得たことから解説をしてはいるのだろうが、個人的な主観がフィルターをかけてしまっていて偏ったことを言う人もいないではない。
人気が出ると、勘違いして不見識なことばかりをいつもいっていると、いずれは廃されることになる。

言動に人としての優しさが滲みでているかどうかを見るとき、私の場合はその人の目をみることにしている。
ジャーナリストとしての冷徹さからくるものとは違う冷たい感情を裏に顰めている人は、言動にも表れる。議論で負けそうになると、世のため人のためではなく自分可愛さが先走って、時として過激なことを言ったり、決めつけたような言い方をするからすぐ判る。感情的になってしまい自説を頑ななまでに曲げない。

選挙が終わるまでは書き込むわけにいかなかったが、自分の主義主張を通さんがため、参院選敗北の恨みを晴らさんと、都の首長としての仕事とは全く関係のないテーマを掲げて立候補した人がいた。
聞く耳をもっているというなら、参院選の結果のそれが民意だったということを認めるべきであった。
恨みのエネルギーから出るものは、人を幸せにはしない。

週刊誌などで過去のスキャンダルが掲載されるや、「何らかの政治的動きがあった」と断じ、それは個人の勘だと言って憚らなかった。
ジャーナリストだというなら、事実関係を詳らかにしないまま、説明責任も果たさずにそれを言ったらお終いなのではないのか?
当たりもしない狂信的な占い師の勘なんぞ信じる人はいない。

「聞く耳を持っている」というのを臆面もなく謳い文句にしていたが、どの口で恥ずかしげもなくそういったのか?
TV番組での討論で、尖閣諸島のことが議題となっていたとき、討論相手から論破されそうになったとき、相手の意見に耳を傾けるどころか「尖閣など中国にやってしまえばよい。」と言い放った場面は忘れもしない。
困難に直面したら放り出してでも、自分の主張だけを後生大事に守るだけという人が、どうして都民のことを考えられるというのか?

負けるべくして惨敗したのであり、週刊誌ネタが原因ではあるまい。
若い人たちは、冷静にものごとを見ていることを見落としてはならない。
反日的なことを言っていればもてはやされた時代とはもう違うのだと思う。

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