2016年8月9日火曜日

見ているだけでよいのだろうか?

自分が右翼でもなければ左翼でもなく、極めてまともな中道だと思っている。
それなのに、国を守るにはどうしたら良いのかとか、国を愛するとかを口にすると、右翼なのではないのかと言われる。
反日的意見を言わない人を右翼と決めつけたいとでもいうのだろうか?

国をいかに平和的に守ろうかということについて考えるのは正常なことだと思うのだが、それを具現化しようとする動きには、対案を提示することなく頭から反対するのが、国民大多数の意見だとでもいうのだろうか?

彼らが口にするのは「話し合いで」とか「外交努力で」とか、世界情勢を考えたら現実的ではないことしか言わない。
誰もが戦争など嫌に決まっているから、徴兵制になると言って恐怖心を煽ることで反対することへの賛同者を増やそうとしているようにしか思えない。。
今時、徴兵制などという非効率なことをする国は、後進国しかないのだはないのか?
自分が国を守るために立つのは嫌であるが、それを口にするのには忸怩たるものがあるから、正当化するために徴兵制反対の尻馬に乗っているように思えてならない。
日本国民が、国を守ることに反対なわけはなかろう。いかなる方策を選ぶかは、ただただ反対したりレッテル貼りに留まっているわけにはいくまい。
流石に目に余るようになって、尖閣の問題はニュースとして取り上げられるようになったが、怪しからんということは決して言わないようにしているかに見える。

自分が嫌なことをやってくれている自衛官のことを大事にすることすら疎かに思い、感謝はおろか悪しざまに言う人がいるのが現実だが、間違っていないか?

軍人がもてはやされるようになることは不幸な時代といえようが、平和を守るのに矢面に立つ志をもっている人たちを貶めるようなことを言って憚らないのは如何なものかと思う。
右翼も左翼もなく、我が国及び世界平和の為には、現実に則した良い案を作るべく議論を尽くすべきだと思うのだが・・・

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