2016年8月25日木曜日

平等を目指して歴史はもめた

歴史というのは大まかな流れというのがあるようです。
人類が生まれ、同族が共同で生活をするようになると、長老と呼ばれる指導者の下でかたまる。
それはいずれ王と呼ばれる権力組織に結びつき、悲しいことだが結果的に民を虐げるということにもつながる。
人は生まれながらに平等であるから、圧迫が限度を超えると、ストレスのエネルギーは爆発する。

古くは、神の下の平等を唱えたムハンマドであり、下っては、王家・貴族の支配から脱却しようとしたフランス革命による人権宣言であった。
このとき立ち上がった市民は、徒手空拳、みずからの命をものともせず戦ったのであり、戦争だの平和だの言っていられない状況下にあったのだと思う。

続きがある。
フランスがそういう国になったとき、フランスの周りの国には王家が存在していた。
その権益が影響を受けることは排除しなければならないということになるのは当然の流れであり、対仏同盟が形成されフランスは包囲網の中におかれることになる。
権益を侵す恐れのあるものは、よってたかって叩き潰そうということになるのは不思議でも何でもない。
ナポレオンが出てくる原因でもあった。

その後、ヨーロッパ諸国は先を争ってアジアに武力で進出し、そこで平和に暮らしていた国々を故なく植民地として支配した。有色人種はそのように扱っても痛痒は感じなかった。

第一次世界大戦後のパリ講和条約において、連合国側の一員であった日本は、一次大戦よりも前にロシアの侵略を排撃できた経験もあって、「国家平等の原則」「人種差別撤廃」を提言した。
有色人種として初めて白人に勝利することができた日本は、一人自国のことのみを考えるのではなく、広くアジア・アフリカ諸国のことも考えていたということである。
それらの国にとっては希望の星であったに違いないが、植民地を持っている国々にとって、日本は癪に障る目障りな国となった。

フランス革命後の動きと同じく、正しい理屈であっても権益を侵す恐れのあることを主張する国は、寄ってたかって叩き潰す必要があるとするのが自然の流れであったろう。

差別を無くし、平等を唱えるときは、血が流れるということかも知れない。
そうであるならなおのこと、これから先の世界各国においては、力を誇示して覇権を目指す国があることなどということは、否定されねばならない。
未だに帝国主義的な国というのがある。

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