2016年8月8日月曜日

「いい経験になった」ですと?

人間、歳はいくつになっても勉強とは言うけれど、ラジオの番組で「いい経験をした」と言ったというのは、、76歳を過ぎていて数十年のジャーナリストとしての経験を豪語していた割には軽すぎるコメントに聞こえる。

聞く耳があるというのは、音や言葉が聞こえるということではなく、相手の意見を汲み取ることができるということなのだから、そういうことにようやく気づいたということなのか?
公約としては見当はずれなことを主張しても、受け入れられないということに気づいたということなのか?
はてまた、今までの言行と不一致なことをしては、底を見透かされるだけだということが解ったということなのだろうか?

今までの実績だということで主張してきたことが、今回を機にして検証されることになりそうだが、「他人のふり見て」ではなく、自分のふりを見るのは、いつの場合も厳しいということが切実な問題になりそうに思える。

甲乙つけがたい、というのが何かを選択するときの理想的な状況であろうが、丙丁つけがたい選挙ということになれば、つまるところは消去法ということになる。
それは、最悪な候補者だけは避けるということに結びつく。

今の制度を変えて、マスコミの報道も、選挙期間中の報道に制限をかけることなく洗い浚い報道し、選挙民が判断できるようにしたらどうなのだろうか?
選挙運動期間ももっと長くして、頼むに足る人かどうか見極められるようにすることも大事なことのように思える。
そうすれば、志も能力も人格も劣る者は、その段階で篩い分けがされるようになるであろう。
後だしジャンケンなどもってのほかということになる。


話は変わって、選挙とは関係ないことにはなるが、今まで尖閣について言ってきたこと、「どこが攻めてくるのだ。人が住んでいるのではないから守る必要はない。」ということについては、質問攻めされそうだがきちんと答えて欲しいものです。
説明責任ということを、他人には厳しく要求していたのではないのか?

このところの情勢を見ていると、手をつかねて見ているだけでは上陸されてしまう危険性すらある。そうなったら奪還するのは困難極まりないことになる。
話し合いができる相手だとは思えない。
危険を予め避けられるような体制を整えておくことが、結果的には相互の平和を維持できると考えるのが普通なのではないのか?
iikeikennninatta 

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