終戦記念日ということで、平和の有り難さというものを噛みしめているところだが、どういうわけか、我が国においては、近現代史というのを学校で学ぶことは殆どない。
資料として残っているものは沢山あって、研究はしやすいだろうに、この部分に触れられると不都合なことでもあるのか、それをいうと騒ぎ立てる人が出てくる。
全て日本が悪かったのだということにしておきたいらしい。
善悪はともかく、歴史としての事実関係は知った方が良いと思うのだが・・・
戦争と平和ということを、先の大戦の前に比べることはなかったように思うし、世界の列強が起こした戦争というのは、植民地として支配する領土を獲るためであった。
負ければ奴隷としての境遇を強いられ、優秀な人材は両手首を切り落とされるということがあったのが、歴史の事実であろう。
被征服地の女児は強姦によって混血児を意思に反して産まざるを得ず、生まれた子は征服者の体制維持に組み込まれたのではなかったのか?
支配されることを潔しとせず、敵わぬまでも誇り高く戦った民族は滅びた例もあるやに聞く。
敵将であったマッカーサーが議会で、日本の戦いは安全保障上のものであったと証言しているのだというが、それを知る人は我が国に殆どいないのではなかろうか。
人としての平等ということについては、1789年のフランス革命により、人間と市民の権利の宣言、即ち人間の自由と平等、人民主権、言論の自由、三
権分立、所有権の神聖などにより、人としての平等ということが確立されていく流れというものが生まれた。
国としての平等ということになると、1919年のパリ講和会議において、日本が世界で最初に人種的差別撤廃提案をし、国としての差別をなくそうとしたが、アメリカの反対で否決された。
思惑はともかくとして、大東亜共栄圏宣言というのも、その流れの中にあったように感じる。
人種または国による差別が撤廃の方向に向かうのは、第二次世界大戦後に植民地というものが無くなるまで、大きく扱われることはなかった。
植民地支配を何百年にもわたってした国が、謝罪や賠償をしたということがあるかどうかは、寡聞にして知らない。歴史の流れというのは、そんなものなのかも知れない。
平和が良い。そうするためにはどうするのが良いのかということになる。
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