2016年8月10日水曜日

よく戦った おつかれさまでした

自分の思い方感じ方というのは人それぞれであり、他人がとやかく言ってもはじまらない。

本心からそう言っていることもあるだろうし、関係者への配慮からそう言うこともあるだろうし、建前上そう言っていることだってあろう。

「銅メダルをとったのに謝罪するのはやめましょう。」いうのも余計なコメントのように思える。
本人が口にしたことに、注文をつけるのは如何かと思うのです。

選手として出場したのに、大勢の人の協力や援助や期待に沿えなかったという思いもあろうし、本人自身が目指した結果への悔しさから出る言葉かも知れないしするが、何らかの責任感から出ている言葉のようにも感じる。
「参加できたことを楽しんでいる。」と人前で公言するよりは、人としての言葉の重みを感じる。

楽しむことが悪いというのではない。
努力した結果、代表選手となれたのだから、それを楽しんだって良いと思う。
ただ、自費だけで参加しているのではないとしたら、それは本人が人前では口にしないという配慮はあっても良いのではないかと感じる。
周りが責任感を押し付けて雁字搦めの精神状態である必要はないとして、気持ちを楽にさせようとして誰かが過去に言った言葉に乗っかっての発言のように思えてしまうのは残念なことのように感じてしまう。

マスコミを始め、寄ってたかって追い回すから、いろんな弊害が出るのではないのか?
参加資格を得られたら大威張りで良いし、メダルをとるという結果が得られたら、それを称えるということにできないものなのだろうか?
それでは報道の都合上よろしくないということなのか?
真剣に戦っている選手を、お笑い芸人みたいなコメントで追い回すのには違和感を覚える。
選手への接し方というのは考えた方がよいと思う。

全く個人的な感想ですが、柔道の試合はルールが変なのではないかと思えてならない。
見ていて面白くない。
ポイントを稼いだら、後は体よく逃げ回る。腰を極端に引いている姿勢も異様に見える。
柔道はそもそもが武道だったのだから、1本勝ち以外の決着というのが馴染めないという個人的な思い込みなのかも知れないが、勝負に潔さを感じて感動することが少なくなった。

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